はたから見れば、私達の結婚生活は満点ではなかったのだろう

しみっちの病気がひどくなってきてからは、交友関係もほとんどもたず、二人っきりの世界に閉じこもるようになっていった

私は二人きりの時間を最大に使いたかった

それはアクティブに二人で出かけるだとか、たくさん会話をするだとかではなくて、ただ普通の日常を過ごすこと

病気と真剣に向き合わなかったと何度か書いてきたけれど、私達にはそれが精一杯だった

「心臓病」とは言っても、どうしてよくならないのか、なぜ悪化の一方なのか、病院側もよくわからない状態だった

出かけることもせず、病気について調べるでもなく、二人のときにはドラクエばかりしていた

出かけることはもうできなかった

病気については情報も少なかった

ごく、自然に生きたかった

私が働けば、もっとお金の心配をせずにいろいろ買えてしみっちはうれしかっただろう

病気についてたくさん調べて、海外サイトも研究して?

そうして、しみっちはその間、一人なの?

初めて入院したあとの自宅療養期間が2週間。このとき私はしみっちの入院中にできなかった仕事に専念した。帰るのも遅かった。

この期間、しみっちは一人だった。

心臓病というストレスを抱えて、一人で家にいた。

それこそ失敗だったとあとになって気づいた。

私は会社を辞めた。


二人きりの生活。あの日も、知らせたい人はドラクエのフレンドだけ。

心配してくれたのも、泣いてくれたのもドラクエのフレンドだけ。

もちろん、TKNSTや高校からの友人グループもいろいろしてくれた。

モンハンをしみっちと4人でやっていた友達もすぐに来てくれた。
でもそれは、久しぶりの再会だった。


あの日から、私はそれまで薄くなっていた人間関係を再構築した。

それでは虚無感を埋められなくて、死別関係の人間環境も積極的に増やした。

しみっちと二人きりで過ごしたこの家に、違う空気を入れなければいられなかった。

生きることができなかった

心療内科の薬を使わなくては生きることはできなかった

生きる必要があるのかどうか判断できなかった

友人が心療内科へ行かせてくれた

それは、私の選択ではなくて、金原ひとみさんの「持たざる者」で言われているように、自分では選択できないなにかなのだろう。

私は薬を飲み続けた。

涙が止まったことで、生きる自信が少し湧いた

今でも、生きるべきか死ぬべきかはわからない

それは、他の、しあわせやーんと息巻いている人だって同じだろう

それは、自分で選択するものじゃないのだろう


震災がそうであるように、死別も出会いも、自分では選択できない、抗えないなにかなんだろう

死が誰にでも訪れるように、死別は、誰にでも訪れる

そのあと、どう生きるかはその人の選択のようであって、実はそうではない、自然の流れが根底にあるのだと今日は思う


私がひたすら走ることや、前しか見ていないことを止める人はこれまでなかった

だから、私はそれまでと同じように、前を見つめて走ろうと思った

あの日からは、死別関係の人からSTOPがよくかかった

あせらないで、ゆっくり

そう声をかけられ続けた

それがなんのためなのかわからないけれど、私は時々その声に従ってきた

それも、自分で選んだことではなくて、きっと、運命なんだろう

精霊たちの導きなんだろう

精霊たちが何を目指しているのか、私は知らない


私はただ、最初にカウンセラーにもらった言葉を目標にしてきた

「激しい情動を伴わずに思い出を振り替えれるようになるといいですね」


そんなことができるわけはないと思った

震えがとまらず、歯を食いしばる力を抜くこともできず、自分では自分がコントロールできなかった

「しみっち」という思いで、呼吸も難しくなるし、涙は爆発して悲鳴をあげていた。
震えて必死に母に電話していた。

一緒に死にたかった

連れて行ってはくれなかった

幻想を見た

「しみっちはここで降りるけれど、きいたんは好きな方へいっていいから。でも、必ず迎えに来るから。」


一緒に行くことを望んでいなかった


望んでくれなかったのか、望まないでいてくれたのか


それは絶対に後者で、しみっちの愛情なんだと知っている


私はしみっちを知っている。しみっちは私に、生き方を強制しない。

死に方も強制しない。


私は、あの日から、信心深くなったのかもしれない

ずっと、頼るだけだったマリアに、私は自己という存在の責任感を初めて持った


神の前で、独りの自己としてきちんと在ろうと思った。


しみっちにたよっている自分ではなくて、私として生きる自分であろうと思った。


「激しい情動を伴わずに」


あの日に比べて、私は、それを実現した。

それは、悲しみをふっきって新しく生きることだと思っていたけれど、全然違った


悲しみも寂しさも愛しさも、常にここにありながら、私は私の人生を進めている

今はまだ、うまく回っていない


それでも、あの頃とは違う

何度でも立ち上がってきた

何度でも立ち上がれると信じることができるようになった


生きるべきか死ぬべきか

そんな答えの出ないことにもやもやしていたら、いつまでも進めないから、私は「死ぬという選択肢はない」と決めた


それでも、いまでもそこはよくわからない

あのとき、どうしてそう閃いたのか。



生き方がそれぞれであるように、死別もそれぞれだ

それでも、生き方が似ているグループがあるように、死別に関してもそうなんじゃないだろうか

それは、寄り集まってどうこうするためのものではなくて、進むための参考にできるとかそういうものじゃないだろうか

生へ進むか、死へ進むか、それぞれだと思う

私は、なぜかわからないけれど自分で決めて、生へ進んでいる