しみっちは肘やひざ、かかとがガサガサどころか、黒ずんでいた
かかとはひび割れてすごいことになっていた
そこで私は薬局で見つけた、かかとつるるんクリームを買ってきてみた
しみっちは毎日こまめに使用して、びっくりするくらいにつるるんなかかとになった
肘の黒ずみもかなり取れた
結局、最終的にはそれも使わなくなったのか(かがんだりすることができなかったため。)、かかとのひび割れが悪化して歯磨き後の洗面所に血溜まりができたほどにひび割れていたりした
スリッパが二度、だめになり、しみっちもショックを受けていた。
具合が悪そうだったから、血溜まりは私が掃除した
そのつるるんクリームを最近、私も使っている
でも、毎日まめに使うのは・・・
しみっちみたいにつるるんかかとになることはなく、今の所はまだ、すこしましになったかなぁというレベル。
ましになってくるともう使わなくなるのでまた悪化して、また使いはじめて、の繰り返し。
なかなかつるるんにはならない
しみっちは私が言ったことをかなりのレベル感で実行してくれていたんだね。
少なくなった、なくなったというから買ってきたら、「出てきたwっw」と言って、私が買ってきた新しいものを私にくれた
しみっちのほうが使い切るのが早いから、しみっちの予備にとっておけばいいじゃないと言ったけれど、使ってあげてと言われた
そういう端々に、もう使うのが大変なんだっていうのを察することはできなかった
爪切りにしても、かかとつるるんクリームにしても、かがめないからやって、とは絶対に言わなかった
それがなぜなのか、あれこれ考えても仕方がない
良く、タヒ別カテのコメント欄を見ていると「きっとこうおもっているはずです」という書き込みを見かける。
私はそういうのが好きではない
「こういう可能性もあるかもしれませんね」ならいいアドバイスだと思うけれど、「絶対こう思っているはずです」みたいなこと、他人に言われたくない。特に、しみっちを知らない人に、あたかも私よりも彼を知っているかのように言ってほしくない
おそらく御本人にはそういうつもりがなく、日本人的な定型文なのだろうけれど、深く考えずに使うのは馬鹿としか思えない。
「元気だして」と言われてむりでしょ、ばかでしょ、もっと考えて、なんて不満を言う人の多くが定型文で「こう言っていると思います」を連発する。
私は「元気だして」という常套句に嫌悪感はない。
他に言葉を見つけられないほど、慌てているのだから仕方ない。
とにかく力になりたくて、とっさに出てしまう言葉だ。
素直に「まだむりよ」と答えれば「そうだよね、ごめん、ゆっくりでね。」と返ってくるだろう。
コミュニケーションが得意な私は、いろいろ見えるから、人生の中で不要なはずのストレスは抱えない
ただ、それが生まれつきの能力なので、それをできない人のことが理解できなくてストレスを受けることはよくある。
それはPCに関連することについても同じで、見ただけで使える見たことのないソフトウェアとか、そういうのが全くわからないCHYに説明しているといつもブチ切れしている。
どうしてわからないのかを知りたいんだ!といくら求めても、何も返ってこない
赤を知らない人に赤を説明するより難しい溝がある。