きいたんのしみっち

2015年1月30日金曜日、8年間の心臓病から解放された夫・しみっち。
しみっちと出会ってからが私の第二の人生。踏み出すこれからが第三の人生になります。

2015年05月

しみっちの壊れたメガネ

学生の頃、私は日光に目が弱くて、サングラスを使っていました。
ダナキャランとアランミクリの合作のやつで、ちょっと自慢の逸品でした。なぜか、その日、パパと出かけて買ってもらったものでした。学生の頃にパパと出かけたのってあまり記憶ないけど、なんだったのかな。

で、それがちょっとバブリーで派手だったので、しみっちが嫌がり、別のものを二人で買いに行き、お揃いのレイバンを買いました。

その次は眼鏡を買いに行った時、自分もほしいと言い出して、二人で別々にフレームを探して店内を回り、選んだものが同じだった。。。

「あんた、あきらめなさいよ、私が先よ」 みたいなことを言ったら、 「どうして一緒じゃダメなの」と言われて、そうね・・・と眼鏡までおそろに。

でもその後、度数が変わったりして、私は一度、しみっちは2度、眼鏡を作りなおしました。


前置きが長くなりましたが、どうしてしみっちのほうが一回多いかというと、壊したからです。

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面白かったので、画像3連発でヽ(´∀`)ノ

こんな壊れた方した眼鏡、初めてみました。大笑いですよ。

しみっちが残してくれたもので一番大きなものが、自分だと思う

私は相当山あり谷ありの人生を送ってきたと思う。

いろいろ精神的にも複雑で、大人の仮面の下の子どもの心が育っていなかった。

私はその欠落した部分をしみっちに育ててもらったと思っている。

もちろん、私だって子どもが欲しかった。でも、そんなこと、しみっちにはもう、強く言えなかった。

しみっちが残してくれたもので、一番、大事にしなくてはいけないのは、この自分なんだって思う。

15年間ご飯を作ってくれて、時にはお弁当も作ってくれて。

資格試験に行く時には朝、車で送ってくれて。

車で旅行行った時は、一人で運転して。

お買い物も一緒に行って、私がおもちゃ入りのお菓子を選んでいる間に野菜とかを選んでいた。

子供っぽい生活をさせてもらった。たくさん、あまえさせてもらった。

八つ当たりもいっぱいしたし、喧嘩もいっぱいしたけど、たくさん、お話もした。

一緒にアニメ見て、一緒にゲームして、ゲームの難しいところを手伝ってもらってたのに、いつの間にか私のほうが上手になっていて。

私は15年間、しみっちにとても大切にしてもらった。

だから、しみっちが一番、大切にしてくれていた自分自身を、これからは私が大切に守っていってあげたいと思う。しみっちがしたかったことを、してあげたいと思う。

今日は4回目の月命日です。

でも、お墓参りはやっぱりキツイので、今日もお仏壇でゴメンね。まだまだ甘えさせてくれ。

お線香

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今、うちにはお線香がこれだけの種類があります。

最初に買ったのが左の「花風」。
これは、しみっちの香りのアクアマリンに近い香りです。
その次に、ラベンダー系の香りだと思ったらちょっと違って、紫なだけだったやつ。
そして、「ハッカ」!!

名前からして気になって買ってしまいましたが失敗です。

ハッカとメンソール、ペパーミントは違います。

このハッカ線香、シップの臭いですヽ(´∀`)ノ

最後がショートタイプの4種類が一箱になったもの。

うちの仏壇は小型なので、通常サイズのお線香だと半分に折ってあげないと、回りにポロポロ落ちてしまいます。
なので、今後はショートタイプにするつもりですが、いろいろ買っているので、まだまだショートだけにはなりません。

ちなみに、一番手前の缶が、ろうそく入れ。

これは昨年のクリスマスまで、二人でちょっとずつ食べたチョコレートの缶です。

私は、クリスマスが終わった時に捨てようとしたんだけど、しみっちが、とっておいて、と言ったの。
あのころから、自分に係るものとかを「とっておいて」って言うことが多くなった気がするなぁ。
それは、私が家のあちこちにシールを貼ってたのと似た気持ちなのかしら。


あちらの世界も賑やかね

あんまり良くは知らない俳優さんだったけど、ほんの数日前にテレビ出演していて、椅子に座っている力ない様子が、あぁ、苦しいんだなと思ってた俳優さんが亡くなった。
あんまり良くは知らないので、お名前がちゃんと思い出せんません。すみません。

しみっちの病気が進んでからは、こういう話題を私は避けるようになりました。

マイケル・ジャクソンの時は、まだしみっちも出社している頃だったので、電話して泣きました。

田中実くんの時は、まよったけど、我慢できずに、電話して泣きました。

私は実くんが好きで、ウルトラマンに出た時には、元気になったのかなと喜んだんだけど、苦しかったのかしら。

ブライトさんの訃報は私達二人にとってキツかった。

タイムリーじゃなく、後から知ったので、二人で悲しみを共有しました。
あまり知らないかもしれないけど「アリオン」と言う映画でアポロンをやりました。

「アリオン」は子供の頃に初めて友達だけで見に行った映画だったと思います。
テレビCMで「ほざけ、人の子が」と言ったと私は記憶しています。
でも、実際映画ではそのシーンがなく、兄に言ったら、CM作った時ってまだ完成してなかったりするから、そんなものだよ、と言われました。兄も亡くしていますので、この映画は私の大切な思い出です。
そして「ほざけ、人の子が」というセリフがものすごく私に悟りを開かせてくれました。
「人の子」
すごい言葉だった。だって、子供の頃の私は「人の子」以外の存在を考えたことがなかったものね。

それから、「今を生きる」の、これまたなんとかっていう俳優さん。私が学生の頃、色々苦しんでいて、「今を生きる」というフレーズが大変感動して、英語の本を買って読みました。映画も見ました。
友人が自殺してしまった時に、雪野原に飛び出して、「あぁ、きれいだ」って言ったように記憶しています。
平家物語かなんかだったかと思いますが、何かの古典で、戦う二人の背景にきれいな月が出ているけれど、二人はそれに気がつかない、というお話がありました。なんとなく、そんなものを思って見ていました。

冬樹くんの声の方の死は、タイムリーに二人で知ってしまいました。
隠すことも出来ず、しみっちが不安がらないかと心配になりました。
ちょうどケロロくんの映画を一度だけ見に行ったことがあります。
ケロロ君愛はその程度でしたが、私達が見に行った映画の時はもう違う方が担当されていたと思います。
その頃は、彼女が病気だとかは知らなくて。

なんとかっていう、アイドルの子が亡くなったことはずっと言えませんでした。海老蔵さんの顔面トラブルの頃のことです。しみっちは、この子が出るとちょっと嬉しそうに見ていたので、しみっちが入院している時のニュースだったので、たしか、最後まで言っていなかったと思います。あれ?もしかしたら、1月に言ったかなぁ。ちょっとうろ覚え。1月はもう、しみっちがおそれを抱いたていない様子だったので、いろいろな話が出来てよかったと思います。

波平さんのことは、むしろしみっちから教えられました。しみっちに買ってもらったゲームの声が、事前のアニメーションと異なっていて、あぁ、波平さんの声の部分かぁとちょっとしんみり。

遡れば、くちびるネットワークの人とか、紅に染まっちゃう歌のバンドの人とか、沢山いますね。

しみっちのお父さんも10年以上前に他界されているし、私の祖父母も。祖母にはしみっちもあったことがあります。とても気に入ってくれていました。祖母は私と少し似ていたので、そりゃ気に入ったことだろう。

私が働いていた頃の後輩も二人、すでに他界しています。

本当は、みーーーーんなのお墓参りめぐりなんかしたいけど、なんだか、どこにあんねん!ってくらいで。
しみっちに代りにちょっと巡ってきてもらえないかしら。

今となっても、私はしみっちをこき使ってしまう・・・


バス停から

しみっちも私と同じSEだったので、案件によって職場が変わります。

いっとき、うちのベランダ側のバス停から、途中までバスに乗って通っていたことがあります。

しみっちが出かけた後にベランダから見てみたら、いない。

電話しました。当時はまだガラケーだったかも。

バス停はちょっとうちから見えない場所なんですよね。

そしたら、しみっちが私から見えるところまで歩いてきて、手を振ってくれました。

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こんなかんじ。

でっぷりしているので、遠くからでも良く見えました(≧▽≦)

しみっちはいつもこんなふうに手を振ります。

私はスーツ着た男の人が両手を上げて手を振るのって、ほかに見たことありません。

とってもかわいかったなぁ。

義実家の弁護士

なんなの。

いきなり弁護士から手紙来ましたけど?

電話したら、やたら早口でまくし立てる人で疲れた。

口調が嫌な感じで、「あれ、なんでそんなに敵対意識を持ってるの?」って聞いたら、

「それはあなたでしょう!」くらいな感じで。この人、馬鹿なのかな?

バカの相手は面倒くさいなぁ・・・

「永遠の別れ」 エリザベス・キュープラー・ロス  ②

第2章 悲しみの内側

喪失直後のこと

一人になってしまって、この先、生きたいのか生きたくないのかわからない
世界が存続する意味がわからない
「喪失」というひとくくりにしてしまっても、それぞれ違う。
なくしたものが違うんだから。
夫としての(時には母であり父でありパートナーでありアストルティアの相方であり、友人であり、恋人であり子どもでもあった)しみっちを失ったのは私一人である。
悲しみを本当に共有できる人なんているはずなかった。

この時期に、義母が笑っていることが信じられなかった。
でも、私の友人も母親も、私の話を聞くだけで、悲しみを共有しようとはしなかった。ただ、私が悲しんでいることが悲しい、ということは打ち明けてくれた。
それでよかったのだと今は思う。
絶対に、私の悲しみは共有できなかったのだ。

闘病終了に対する安堵

しみっちは8年前に心臓病と診断されてから、私には打ち明けないところで、ものすごく苦しんでいた(らしい)。
そしてうつ病になった。心臓病に対して取り組んだりすることも出来なかった。
それでも、ものすごく頑張った。逃げ腰でも、目の前の症状や手術、入院、痛みと苦しみに対して頑張った。
じゃぁ、どうなんだ
それでも、私は、そのまま苦しみながらでもそばに居て欲しかった。
そう結論づいた時、私は自分勝手でわがままな自分に気がついたけれど、愛していることに自信を感じた。
そして、私がしみっちを置いていくのではなく、しみっちが先に飛び立ったことを少しホッとした気持ちで受け止めた。泣き虫のしみっちを置いて行くなんて、可哀想過ぎる。

脳の休息

最初のひと月はひどいものだった。食事もとれず、睡眠も取れず、一人ではいられない。
でも、2週間もすると、頑張ってくれていた協力者も自分の生活に戻っていく。私には戻る場所がない。
私はパートを申し込んだ。同時に心療内科にも通い始めた。
現実逃避。
今までと違う生活をすることで、つかの間、脳に違う生活を経験させてあげて、休息を与えたかった。
それまでの私のバックグラウンドは、この状況を何とかする方法を模索してオーバーヒートしていた。
パートを始めたことで、違うことも脳に入ってくる。それはいいことであったと思う。
でも、不安感や突然の涙、パニックやイライラはあり、生活に対する不安は大きかった。
でも、運良くパート先の連中は嫌なやつらだったので、迷惑かけてもトラブっても殴っても構わないや、と思って働いていた。

悔恨

私は、いろいろな人生だったので、悔やまないように生きようという意志がちょっと強い。
ただ、うつのひどいしみっちに対して、別れたほうがいいかもしれないという話を何度もしていた。
しかし、自分の中で、そうではないと結論づいた事をいい忘れていた。
そんなとき、美佳さんのスキャンダルがあった。私達は結婚生活が失敗ではないことを確認した。それは、今も私の中で本当にラッキーだったことだと思っている。美佳さんは大変だろうけど、ほんっと、あの人がトラブってくれてよかった。
心臓病の診断についても、睡眠時無呼吸症候群が始まった時すぐに行かせた医者で心電図を定期的にとっていたので、どちらかといえば、発見は早かったほうである。
ただ、痩せることはできなかった。それについてもなんども喧嘩して、最終的には「命をかけて太り続けるのかよ」ときいたら、「そうだ、しかたなし」と言った。うむ・・・
もう、病気が進んで、新陳代謝も下がり、痩せることなどできなくなっていた。
沢山喧嘩して、たくさん、泣かせた。でも、沢山笑いあったし、沢山、幸せも感じた
私はあまり悔恨という感情には悩まされていない。
ただ、少し悔やまれるとすれば、今私がしみっちのかわりにやっていることを、しみっちに実際に見て、そして褒めて欲しかったなぁということかな。



しみっちがうつであったこと、また、高校時代に兄が不登校であったことなどから、私は少し精神についての知識を持っていた。涙を含め、感情の発現の大切さを知っている。
私は病院でも、葬儀でもその後の数週間も、ずっと泣いていた。
最初はハンカチでふくでしょ、そうすると、足りない。それでタオルを持ち歩くようになった。これも目が腫れる。そして、柔らかいタオルをチョイスして、目が腫れにくくしたりなど、深い悲しみの中でもそこそこ自分を大事にしている、そんなのが私だ。今でもその頃使っていたタオルを見ると涙が出てくる。私、頑張ったなぁ。

役割の引き継ぎ

しみっちは、車で私を買い物に連れて行ってくれた。
スクーターで買い物に行ってくれた。
ご飯を作ってくれた。
家事をやってくれた。でもこれは、病状が悪くなってからは私がほとんどやっていた。
アストルティアでは、前面に立ってフレさんを作ったり会話をしてくれた。

私は涙が止まらなかった頃に、カウンセリングで、「じゃぁ、どうしたら解決すると思いますか」ときかれ、初めて問題を理解した。

私はしみっちになろうと思った。
とりあえず、生きたいのかどうかすら分からない。世界が続いている意味が分からない。でも、なんとなく、頑張らなくてはいけない気がする。しみっちが育ててくれた私を存続させたい。
とにかく、できることからやってみよう。手続きなんて後回し!

そうして、私はご飯をつくり、スクーターを6万もかけて修理して、左回りの練習から始めた。調子に乗って車に乗ったら駐車場を壊してこちらの請求が3万。
ヽ(・∀・)ノ
うん。でも、なんだか、少し、やっていけるような気もしてきた。
そして、やりたいことも出てきた。

失ったものは愛するしみっちだけでなく、家事をやってくれるしみっちであり、スクーターで買い物に行くしみっちであり、車に乗せてくれるしみっちでもあるわけだ。

そのうち、できることを私が引き継ぐことで、純粋に愛するしみっちの喪失に集中して悲しむことが出来るようになっていくように思えた。


もう一つの喪失

感情というのが、記憶の中を連鎖して引っ張り出してくるものだということを私は良く知っている。怒りの感情が出た時には、そういえば、あの時もその時も、と、どんどんつながって思い出して怒りが倍増していく。
悲しみも同じことで、やはり、亡くなった兄の事をすぐに思い出した。そして、悲しかった。
あの時は仕事に打ち込んで、悲しみを放棄した面もある。でも、その後ゆっくりと悲しんできたので、本書にあるほど、辛いことにはならなかった。
ただ、浮遊しみっちに、「お兄ちゃんに会えた?」と聞いたら、「遠くにいてわからない」ような返事が来たように思えた。モルジブだかモロッコだか、なんだかしらない地名だった。「・・・へ、へぇ・・・浮遊してんだからぴゅーんと行けるんじゃないの?」「いや、そういうかんじでもないみたい」
そんな会話をした気がする。

何かで読んだんだけど、お墓とかお仏壇とか、普段使っていたイスとか、そういうところには行きやすいらしい。でも、縁もゆかりもない所には行きづらい。そんなものらしい。
以前テレビで、飯島直子さんかな?なんかが、兵士の霊の団体さんを飛行機で連れて帰ってあげたことがある、と言っていたが、そんな感じなのかもしれない。
私が海外に行く時には、浮遊しみっちも一緒に飛行機にのるのだろう。
・・・帰りにおいてこないように要注意だね。

コントロール

私はもともとF1が好きで、2006年には鈴鹿に、しみっちと一緒に観戦に行った。私が好きなのは当時ルノーだったアロンソだが、そのとき、ジェンソンが愛想が良くてびっくりした。当時のジェンソンはあまりいい人ではないイメージで、女性ドライバーに対する蔑視などが報道されていたくらいだった。その後、ジェシカと付き合っているということを知った。本田に出会ったことが僕の人生を変えた、とジェンソンは言っている。今は、アロンソとチームメイトだ。そのジェシカがスピリチュアルバリバリな人で、私もちょっと興味を持っていくつか読んでみた。
なので、コントロールの危険性と無意味性は知っている。
今回、私をコントロールしようとした人が周囲になかったことは感謝すべきことだ。
そして、その人達も自分自信をコントロールしようとしない。もっと一緒にいなくては、とかいう考えより、自分の生活や精神の健全性を優先する。
悲嘆にくれている人と共に過ごすことは大変だ。
私もそれは分かっている。だから、時々距離を置いたりする。正しい選択だと思う。

空想

うーん。私はしみっちを理想化して思い出したりはしないかな。屁んじ(屁で返事すること)とか、ズボンがずり落ちることとか、おもしろいところも思い出すし、つまらないことでそう状態になって激怒すること、そして喧嘩になったことなども、同じくらいたくさん思い出す。
それでも、好きなんだ、と今はいつも声に出して言っている。
もし、11月の最後にしみっちが言い張って出かけたりしなければ、無理やり止めていれば、少し長く地上にとどまれたかもしれない。でも、あのとき、しみっちは私と出かけたかったのだ。それでいいじゃないか。
「しかたなし」
しみっちの口癖。しかたないんだよ、地上の世界はそのようにできている。


死後の生

これについては、私の結論を以前書いている。
私は人形使いなので、浮遊しみっちの存在も感じる
人形使いというのは、ぬいぐるみと話ができるということ。
ただの妄想なのか、ほんとうなのかを論じる必要はない。
ただ、私がぬいぐるみとの会話の中で育ってきたことが事実であるだけだ。
他にも、シャワーを浴びている時に、突然、マリリーンの歌が頭をよぎった。そうしたら、彼女の訃報が流れた。
それは誰かの悲痛の叫びが私に届いたのだと思っている。
そういうことって、ないという証明は難しい。

私が終わるときに、しみっちが迎えに来てくれるなら嬉しい。それが死の瞬間の脳の反応で幸せな夢を見る、と言われているやつだとしても、その時の私にはそれが真実なのだ。
ちゃんと来やがれよ、しみっち。

あの当日のことを書いたり話たりすることはまだ出来ないけれど、あのときもしみっちは一生懸命私をリラックスさせようとしてくれていた。
夕飯のときにお鍋を持ってこようとしてズボンが落ちたみたいに、床のものをひろおうとしてぷっともれてしまったみたいに、そういうちょっとした笑いを私にくれていた。
しみっちはあの時確かにあそこにいた。自分の体を使って私を励ましてくれていた。なんて、かわいらしい人なんだろう。結果がわかっていても、私は何度でもしみっちを選ぶよ。見つけるよ。


はい。196ページ。

私は本は図書館で借りています。

通常、レンタル期間は2週間ですが、延長することが可能で、1ヶ月借りることが出来ます。
ええ。通常は。

だがしかし!なぜかこの本は次の予約者がおる!!

延長できません。

第3章は又の機会に・・・

近所に同じ苦しみを持っている人がいるのかしら。




洗面所のピカチュウ

いつのころだったか、お互いの服に小さいぬいぐるみやなんかを入れるのが二人で流行ってた。

ある時、私がしみっちの部屋着のおしりのゴムのところにピカチュウを挟んだら、しみっちが全然気が付かなくて、私も忘れてしまった。

すると、トイレからしみっちの悲鳴。

「あーーーー!だめだよ、きいたん」

すぐにしみっちは、ピカチュウを持って出てきた。

「ズボンおろしたらポチャって音がしたからうん◯漏らしちゃったのかと思ってびっくりしたじゃん。見たらピカチュウが入ってたよ。」

「あ、わすれてた」

しみっちはピカチュウを洗ってくれたけど、・・・ちょっとね。

ということで、お正月のみずひきをかけるためにカベに取り付けたフックにぶら下げることになりました。

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お正月のおかざりをおいている間は、洗面所のはじっこに移動します。

今日、あ、と思い出して5ヶ月ぶりに所定の場所に戻してあげました。

アストルティアで生活していると

250392815
アストルティアの自宅をダブルベッドにしました。

昨日はチムメンとコインボスをぐるぐる。
気持ち的にも疲れたので途中で解散させてもらいました。すまぬ・・・

こうして、私達の日常だったアストルティアでの生活を続けていると、
しみっちがいないことをしみじみ感じます。

今も、明日も明後日も、次のバージョンアップの時にもいないんだよなぁと。
少しずつ、認めることが出来てきているのかもしれない。

それでもまだ、東京の自宅は、しみっちが買っておいてくれたものやしみっちが用意してくれたもの、しみっちの物、しみっちのために買ってあげたもの、しみっちのために書いたメモ、私が先に死んだ時にしみっちが見つけてくれるかなと貼ったシール。これはほとんど見つかってしまって、嬉しそうに「あ、こんなところにも!」って言ったけど。

しみっちに囲まれ守られている日々が続いているので、やっぱり、ちょっと留守にしているだけ、と思ってしまう。
まだ、そう思いたい。

あんなに私の健康を気遣ってくれていたのにね

昨年、R1とかいうヨーグルトの免疫力向上のうわさをテレビで見て、時々ヨーグルトを買ってきて食べていました。

しかし、さすがに飽きます。

そうしたらしみっちが、飲むタイプのがあるよと言って、生協で注文してくれるようになりました。

2月になってからも、しみっちが言ってくれてたんだし、と続けていましたが、

さすがに飽きます!!!!!


昨年中はしょっちゅう風引いてましたが、R1飲んでる時期は確かにひきませんでしたね。

ええ。

飽きたのでやめちゃったら、こんな状態です。

もう3日も治りません。

次回の生協注文の時には忘れずに頼みます。

ごめんよしみっち、あんなに気遣ってくれてたのにな。
ま、わかってるか。わたしのことくらい。

しみっちとおそろのマグカップ

up_DSC_0635

きいたんがドナルドで、しみっちがミッキーです。
きいたんはディズニーの中ではドナルドが一番好き(≧▽≦)
しみっちは、プーさんだったのかなぁ。リスの二人組もわりと好きだったみたいだけどね。

このカップはきいたんが友達とディズニーランドだかシーだかに行った時に買ってきたました。
あの日は朝、寝坊して、待ち合わせの時間に間に合わず、車で送ってもらったの。
私の仕事が忙しい時期だったから、みんな怒らなかったけど、冬なのにジャンパーの下がTシャツってところは笑われました。急いでたからしかたなっしんぐ。


今日は友達にもらったカポッとするコーヒー淹れました。

・・・。ええ、実は、しみっちのはデガラシです(ill| o o ) バレテナイバレテナイ

「永遠の別れ」 エリザベス・キュープラー・ロス  ①

第1章 悲嘆の五段階

段階というより、種類が5つ。
 ・否認
 ・怒り
 ・取引
 ・抑うつ
 ・受容

これら5つの感情の種類が、順不同に個別に現れたり、いくつかの感情が同時に現れたりする。

突然の喪失に対して「否認」の感情は重要である。一度にすべての事実を受け入れることは負担が大きすぎるからである。

私はあの日、否認の感情は起きなかった。そんなはずはない、とか、本当は眠っているだけだ、とは思わなかった。
予期していたからだ。

それでも、あれから3ヶ月たった今も、本当は病院にいるんじゃないのかと、思っている部分もある。
LINEの履歴を見れば、たった今しみっちとLINEしていたのに?と感じる。
まだ否認の感情は消え去ってはいない。

「怒り」の感情は、人が一番慣れ親しんでいるもので、対処がしやすいと書いてある。
感情の混乱を怒りにのせることで、気持ちの整理を付けることも出来る。
怒りの気持ちが出た時には、現状でも自分が生きている、生きていけるということを暗に感じ取れた時だと書いてある。

怒り・・・

私の最初の怒りは、本人、親族、神、状況に対してではなかった。
怒り、と言うのかはわからないが、生きているすべてのものが許せなかった。
イスラ◯にでも参加して爆弾をもらってきてあちこちを破壊してやりたくてたまらなかった。
でも葬儀の準備などで忙しくそれはできず、時間があってもきっとできなかっただろうけど、住職に会った時、真っ先に言われた言葉にいさめられた。
「なにをしてもかえってはきませんから」
そうして私の最初の怒りは鎮まった。

二度目に怒りが出たのは、本当に随分たってからだった。
49日、義実家の集まり具合が気に入らなかった。表情も気に入らなかった。そうして、挙句に、葬儀の時初めて交換したメールアドレスで、義妹から遺産相続の話がメールなどで軽々しく送られてきた。
私はブチ切れた。
この当時私は、一人でいることが危険であり不安であったため、短時間のパートをしていた。状況を説明して、無理を言っての短時間パートだ。
その話を聞いて、働いてるなら元気だろうくらいに思ったのだろうか。
そして、今私が住んでいる家は、一人では広すぎるでしょうなどとクズが言いやがる。
自殺なんてしないけど、もし、自殺することがあるなら、あいつは殺してから自殺する。と決めた。

失った感情の中で最初に浮上するのが「怒り」であると書かれている。その通りだった。
それまで、自分とは違う何かが日常生活をしているように感じていたし、しゃべり方も考え方も自分とは違うと思えていた。
でも、その怒りを爆発させてからは、自分を取り戻せたように思う。しゃべり方も考え方も自分らしくなってきた。

葬儀の頃に墓の管理は任せられないとか、位牌をよこせとか言われた時に、建前か「あなたの今後のために」という言葉に私は感謝を述べたが、今はそうは思わない。
私達の15年をなんだとおもってやがる、クソくらえだ。ぺっぺっ。

幸い、怒りのプロセスで私は神を恨んだりはしなかった。叔母がシスターであることもあり、シスターから電話があるたびに、しみっちが困らないようにマリアにお願いしてね、といつも頼んでいた。
地上を離れてしまったしみっちを私は神的なものに頼むのが一番いいと思っていた。自分で出来る範囲の事はかぎられている。祈ったり、お線香プカプカしたり、りんをちんちんたたいたり。でもやっぱり、神的なものにお願いしたいと心から思った。

「取引」というのは、これから~~するから、~~をたすけてくれ、というようなものらしい。
私にはそういうプロセスは生じなかった。
もともと、私は意味のない取引はしない質である。
テストで良い点取ったら~~買って、というのは意味が無いと思ってきた子供時代。
取引という感情は生まれなかった。

「抑うつ」
私は生きる目的がわからない、と友人に言ったとき、心療内科を紹介された。
私は日常生活がままならない状態だったので、薬によって、日常生活をあるていど取り戻したことで、先のこと、今のこと、いろんなことを考える余裕が持てた。
私は心療内科の薬に賛成派だ。
だが、本によると、薬などで無理にこの時期の抑うつを抑えることは逆効果になりかねないという注意も書いている。
喪失から発生する抑うつは、一般的な抑うつとは質の異なるものであり、このプロセスを通して悲しみをしっかりと実施することが必要だというのである。
家に引きこもって泣いているだけでも誰かが世話をしてくれるのなら、それもいいかもしれない。でも、状況はそれを許さない。
ただ、私も薬に関しては頼りすぎること無く、一日中泣かないようにという薬の飲み方はしていない。適度に悲しみ、怒り、憂鬱を経験して、心と体をゆっくりと慣らしていくというプロセスを選んだ。

「受容」
喪失という現実を受け入れ、さらにそれが永遠に続く状況であることを認めること。
新しい生活を始める時、愛する人との新しい関係を築くことになる、と本書では述べている。
新しい生活を楽しむことを裏切りのように感じる必要はないのだ、と。

私は先日、ドラクエでチムメンとコインボスに行った時、あんまり楽しかったので、そのあとパニックが起きてしまった。こんなに楽しいのにしみっちはいない。しみっちがいないのに、こんなに楽しいなんて!
しみっちはもうパラディンができないのに!
チムメンは私が不在の期間に、しみっちが受け持っていたジョブのパラディンを出来るようになっていた。多分、何も言わないけれど、これからも、同じように行けるんだよ、と私を待っていてくれたメッセージだと受け取った。
しみっちが私に残してくれたアストルティアの生活。
しみっちのおかげで、私はまたアストルティアで遊ぶことができる。でも、しみっちは?しみっちは寂しくないの?
私は混乱して、パニックになったのだった。
しみっちが残してくれたもので私は今生きている。でも、今しみっちにしてあげられることってなんだろう。
そんなことを考えてしまった。

私はこの「受容」の段階へ上り詰めていない。
だから、どうしてもパニックになるし、随所で踏みとどまってしまう。

もし、受容が上手くさばけたら、きっと、新しいしみっちとの関係に気が付き、共に幸せと喜びの未来へ進めるのだろう。

第1章は、というような内容だった。

もっとやってほしかった

愛する人を亡くした時に、もっといろいろやってあげたかった、と言えたらかっこいいような気がする。

でも、私は、しみっちにもっとやってほしかった。


ころっとした腕でもっとお料理して欲しかった

お鍋作って、食卓に持ってくる時、ズボンがずり落ちて「どうしよう?」なんて言ったりするの、もっと見たかった。

朝起こして欲しかった。

いつも怒ってたけど、なんども「もう起こさないからね!」って言って。

もっと一緒にゲームして欲しかった。

もっと文句を聞いて欲しかった。

もっと車で買い物に連れて行って欲しかった。

もっともっともっと。

もっと、頼んだもの買ってきて欲しかった。

魍魎の匣のねねバージョンの本、すっごく何度も探してくれた。

そういうの、もっとやって欲しかった。

ハッピーセットが今はこういうのだよって言って、買ってきて欲しい。

これはいらないの?って聞いて欲しい。

ポケモンセンター行って、新しいポケドール買ってきて欲しい。

もっともっともっと

たくさんもっと、きいたんにやって欲しかった。

ゲームの新情報、もっと教えて欲しい。

新しいパッケージのインストールはしみっちにやって欲しかった。

知らないうちにやってくれてあったこと、もっといっぱいやって欲しかった。

ずっとずっと、いろいろやってくれるしみっちでいて欲しかった。

こんなことを言ったら、またしみっちを泣かせてしまうけど、見守ってくれているだけじゃぁ足りないよ。

ページ切替時にしみっちがコメントを言います。

右上のしみっちの似顔絵の下に、アメーバのしみっちの絵を追加しました。

こちらの絵と、しみっちのコメントがページを切り替える度にランダムで変わります。

今は用意した画像が少ないので、同じものが連続する確率がやや高めではあります。

                               これ↓
up_WS000005

相当、集中力が落ちているやら、鈍っているやら、無駄にミスを繰り返しました。
以前、自作したものの使い回しのため、変数名が適当すぎます。

ややこしくなるくらいなら、一から作りなおしたほうがよかった。

変更内容。

①フリーエリアに表示用のテーブルを作成します。
<div align=center>
<table>
    <tr>
        <td class=tablesitei align=center>
            <font size="4" color="#0000ff">
            <div id="shimicchiwords" ></div></font>
        </td>
     </tr>
    <tr>
        <td class=tablesitei align=center>
              <img src="https://livedoor.blogimg.jp/keytan7/imgs/d/a/da0b3998.jpg" width=180 name="shimicchitalk" ></img>
         </td>
     </tr>
     <tr><td><font size="3" color="#666666"> (Amebaのしみっち)</font></td>
     </tr>
</table>
</div>

②カスタムJSをBodyに入れます
<script type="text/javascript">
<!--
var titleimg = new Array();
titleimg[0]="やるな、きいたん@imgs/d/a/da0b3998.jpg";
titleimg[1]="しかたなし@imgs/1/4/1496c92c.jpg";
titleimg[2]="なにか食べる?@imgs/1/8/185d7b56.jpg";
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以上であります。

一応、Firefox、クローム、IEで簡単に確認しました。

めまいがして思い出した

今日は薬に頼って、久しぶりに外出。

ちょっとルンルンでお風呂も入って、大活躍~と思ったらめまいが(ill| o o )

まてまてまて。今倒れると、頭が濡れたままよ・・・!

ちょっと熱を測ってみるとそこそこある。くそう!

バファリンバファリン。

こんなときにも、しみっちはいないんだから、もうほんと、嫌な日々!ちくそう!

だがしかし、ちょっと待て。

ちょっと思い出したんだが、以前私がめっちゃお腹痛くなって、貧血もひきおこして、冷や汗ダラダラだった時のこと。
「み、みず~~~・・・とバファリンをぉぉぉおぉ!」
というと、ちゃんと持ってきてはくれたが、そそくさと隣りの部屋へ。

「うーんうーん」とうなっても、シーンとしている。気配を消すかのごとく。

薬がきいて、痛みが引いて起き上がって隣の部屋を見ると、しみっちが小さくなっている。

「ちょっとちょっと、あたしがあんなにうなってんのに、なんでかまってくれないのよ」

と文句言ったら、

「だって・・・うつったら嫌じゃん」


は?

はい?

なんですって?


「生理痛じゃぼけーー!ウツルカイ、あほぉおぉおおお!」


なんてことがあったなぁヽ(´_ゝ`)ノ

『ライフ・レッスン』 エリザベス・キュープラー・ロス

タイトル通り、メインテーマは生きるためのレッスン。なので、死別者の対処とは別のアングルです。

ただ、とても大事なことを知りました。

1月に入ってからしみっちが、ものすごく落ち着いて、優しくて、幸せそうだったことの理由です。

あんなことになって、私はしみっちが諦めてしまったのではないかと少し不安に思ってもいましたが、そうじゃなかった!

この「ライフ・レッスン」では、死を前にした人の心境をたくさん紹介しています。
そしてわかったのは、しみっちは、あきらめたのではなくて、受け入れたのだということです。


去年のクリスマスの日、しみっちは無理してケーキとチキンをバイクで取りに行きました。駐車場まで私が迎えに出て、荷物は私が家まで運びました。

この頃はまだ、自分の体がもう動かせない、ということを認めることができないでいたのでしょうね。

1月に入って、「初詣行こうよ」と言ったら、「一人で行ってきて」と言われました。
私は一人で出かけて、おみくじを二人分と、しみっちにお守りを買ってきました。
おみくじは家で二人で開きました。

多分、その頃だと思いますが、私達は、しみっちがドラクエの最後まで(あと8年位)持たないかもしれないね、という会話をしています。

また、USJは車いすで回ろうね、という話もしました。

私達はふたりとも、しみっちの体が思うように動かないこと、そして、私より先にしみっちが飛びたつことを認めるようになっていたんですね。

そして、しみっちが家でほとんど動かずに暮らせるように生活を変えようとしていた。


そのことで、少なくともしみっちは、病状への不安や死への恐怖やイラ立ちが薄くなっていたんだと、思えるようになりました。

以前は家事をすべてやってくれていたしみっち。
最後まで、キッチンだけは譲らなかった。

それは、しみっちの意地なのかと思っていたけど、それも違って、たぶん、そこに幸福を感じていたんですね。私がゲームしているのを見ながら、私のためにご飯を作って、一緒に食べる。
自分の体でできる、ぎりぎりの行動。
いつもやって来たことではあるけれど、それが幸せだって感じていたんだろう。


私はしみっちほどには、現実を認められず、ちょっと苛立ったり、ベッドからなかなかでなかったりわがままを言ったりもしていました。


でもしみっちは優しかった。

だから、私も優しくなれた。

最後の一ヶ月はとても幸せに過ごせた。


それは、私の思い込みではなくて、なるべくしてなった幸福の時間だったのだと思います。

「ライフ・レッスン」を読んで、私達はやっぱり幸せだったんだと改めて思いました。

ただ、予想より早すぎた飛翔は私達を混乱させ悲しませ苦しませてもいます。


蝶。


私達の体はサナギのようなもの。蝶となってそこから飛び立つ。


しみっちが蝶かぁ。かなり太めの蝶だなヽ(・∀・)ノ

へんなの

なんにもやる気がでない

片付けてもしみっちに見てもらえないし

ゴミ捨てて帰ってきても一人だし

買い物行っても、しみっちにお土産買わないし

なにやっても無駄なきがする

意味ない気がするというか、いみわからん

だからなんもしたくない

そんな時は、調子が悪いとき、と学習したので、補助用の薬を飲む。


少しすると、あ、電話代払いに行かなきゃとか引き落とし銀行にお金入れとかなきゃとか思って出かける


少し日常に戻る

薬の時間になって定期的に服用する分の薬を飲む。


へんな生活ぅ。

しみっち お誕生日おめでとう

今日はしみっちのお誕生日ヽ(・∀・)ノ

大好きなしみっちが生まれた日だから、今日は素敵な日。

きいたん お誕生日おめでとう

5月16日はきいたんのお誕生日

5月18日はしみっちのお誕生日

毎年、5月はケーキをいっぱい食べたね。

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これは2011年のケーキ。
きいたんは生クリームが苦手なので食べるの大変だった


up_DSC_0060

こっちは2013年のケーキ。

ろうそくはいつも、しみっちのセンス(≧▽≦)

あの緑のろうそくはなぜ、そこに・・・?

去年はトッキュウジャーのケーキだったんだけど、写真が見つからなかった。

撮り忘れかなぁ。

今年はケーキは用意しなかったよ。一人でホールは難しいし。

いつもね、はじっこの生クリームが多いところとかは、しみっちのお皿にポイっと入れてたのよ。


毎年、しみっちがちゃんとケーキを予約してくれてた。

きいたんよりも、しみっちのほうが記念日とかにきっちりしてたなぁ。

最近はたくさんケーキ食べるのが大変で、何回か、しみっちのお誕生日はきいたんのお誕生日ケーキの残りで済ませてたような・・・

しみっちは優しかったなぁ。


写真撮るのわすれちゃったけど、今年の誕生日プレゼントに、マクラーレンホンダF1チームのキャップを買ってもらったんだ(≧▽≦)

アマゾンの名義はしみっちの名前のままにしてあるから、ちゃんと、しみっちの名前で届いたよ。

きいたんが、2005年からずっとアロンソを応援していて、今回のチームが一番扱いやすいカラーだよね。

フェラーリの頃は赤とか黄色とか、ちょっと目立つキャップだったけど、フェラーリはグッズが多くて楽しかったなぁ。バッグとかもいっぱい買った。
しみっちも、いいねって、言ってた・・・よね?

楽しいはずの予定の日だったのに、泣いてばかりいたくないよ


しみっちの誕生日プレゼントには、ドラクエショップのホウキドルボードとキツネパーカーを買ってあげたよ。

アストルティアで、おそろいで冒険できるからね。


なんかこう、火の玉出すとか、そういう芸当はできないものかね。

浮遊しているなら、メッセージが欲しいよ。火事には注意。

初回の診察とカウンセリングの様子

初回は、涙が止まらず、タオルびっしょりでバスの後部座席に乗ってクリニックへたどり着いた。
待合室でも泣いていた。

うつとかそんな感じの人が来るところなんだろうけど、待合室の他の人達が元気そうに見えた。

待たずがモットーのクリニックなので、すぐに診察室に呼ばれた。
事前に予約メールで状況を説明してあったので、話はスムーズだった。

先生が言ったのは、

「激しい情動を伴わずに振り替えれるようになるといいですね」

だった。

私は悲嘆にくれて紺色の世界にとっぷりつかっていたので、「なう」しか見ることが出来ない状態だった。
それが、そんなふうに、少し先の自分の姿をイメージする言葉をもらったことで、なるへそ、と少し脳が活性化した。

「まずは、今の涙を止めたいということだから、少し不安感を鎮める薬から試してみましょう」

そして薬が決まり、初診は終わった。

待合室へ戻ると、カウンセリングの予約を今日取るかとスタッフに聞かれた。一時間ほど待ち時間が生じる。でも、受けたほうがいいと言われたので、申し込んだ。

待ち時間は外出していて構わないというので、さっそく薬局へ行って処方された薬を飲んだ。
そのときは、とんぷくだと説明されていたので、薬局の人にすぐに飲んでも大丈夫かときいたら、大丈夫ですよと言われた。

そのあと、時間をつぶすために、近くの丸井に入った。
この頃は、街を出歩いている時にポロポロ泣いていることが自分にとって普通になっていたので、普通に泣きながら丸井に入った。今思うとびっくりである。

10分もしないで薬がきき、涙が止まった。

その後、久しぶりに雑貨などを少し見た。

時間になったので、カウンセリングへ向かった。

私は相当混乱していて、さっきもらった薬を飲んだら涙が一旦止まって嬉しかったこと、でも、この部屋に入ったらまた止まらなくなったと告げた。

「ここでは泣いているだけでもいいんですよ」

そんな風に言われた気がする。

人によっては、身近に話を聞いてくれる人がいなかったり、人のいるところで泣けなかったりする人もいます。でもここでは、自然にしていていいんです。話したいことを話して、泣きたかったら泣いていればいい。

そんな風に言われたが、おいおい、ちょっとまってくれよ、結構な値段とって、泣いてるだけじゃまずいじゃないか、と思った。

私はテーブルにあったティッシュをものすごい勢いで使って鼻をかみながら、心境を語った。

とにかく、りかいできない、いみがわからない、どうしていいのかわからない、なにがおきたのかりかいできない、いみがわからない、これからどうしたらいいのかわからない、いきているいみがわからない

私が泣きながら言えたのは、結果的にその程度だったと思う。

もうすぐ時間です、と先生が言って、「それで、あなたは、どうしたら解決できると思いますか」と言った。


私はむかっとした。

そんなの、決まってるじゃないか!


「しみっちに会えればそれでいい」と、声を大きくして言った。

その言葉が自分の耳に響いた時、ああ、それができないから、今こんなことになっているんだ。と初めて理解した。

今の自分が出せる解決策は実行できない、だから、別の道を模索しなくてはいけないんだ。

そのことを初めて理解した。


初診はそんな風で終わった。

診察の方では、将来のイメージを抱くことが出来、カウンセリングの方では、問題点がわかった。

なので、私はこのクリニックに通おうと決めた。
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 (Amebaのしみっち)

おしゃべりしみっち

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プロフィール

KEYWA

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ムニュはマンチカンの女の子。そろそろ私と同じ年頃♡タロンはポメチワハーフの男の子。アキャンはブリティッシュショートヘアの姫で、マルコはスムースのダックス胴が長い。夫との死別から5年経ちました。二人で暮らしたアストルティアへ帰るのが目標です。 地上ではADHDのパートナーと暮らしています。私はASD傾向強目。
キャラ紹介
◎KEYWA
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●しみっち
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 1969年5月18日生まれ。
 A型。
 2015年1月30日没。
 2002年7月14日からきいたんの夫。

●きいたん
 1973年5月16日生まれ。
 世界のB型。
 2002年7月14日からしみっちの妻。
 都内在住➡離脱。
 現在恋人同居中。
 

●ドラクエの二人
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 (「しみっちょ」と「きいたん」)
 種族:プクリポ

●CHY
CHY
 恋人(画像はイメージです)

●ムニュ
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 2010年9月3日生まれ。
 マンチカンのメス。

●両親(ママ&パパ)
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 70超え。都内在住。
 


●シミッチュン
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 しみっちのかわりに連れて歩いている手乗りすずめ。本当はすみっこぐらしの子。


●TKNST
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 1973年6月生まれ。 
 くわ型。
 高校時代からの親友。


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