みなさんコメントありがとうございます
今日は午前中、いつもどおり買い物に行ったりちょっと掃除したり、ポケGOのジム戦やったら負けたりして過ごしました
昼、両親が来て、一緒に昼食とケーキを食べました
何も言わなかったのに、しみっちにはちゃんとモンブランを買ってくれました
夜は一緒に食べに行こうという話がありましたが、先週キャンセルをお願いしました
今夜(昨日になってるが)はものすごく久しぶりにピザを頼みました
ある方のブログでピザを頼んだという話があったので、そうだ、あの日はピザにしよう!と決めていました
しみっちは「えー、ピザやだー、しみっちあきちゃったもん」
といつも言います
それでピザをやめてココイチのカレーにすると喜びます
でも今日はピザ
久しぶりだし!
カレーは最近作ったし。
ジョニーウォーカーコーラを飲んで、ピザをたくさん食べて、ソファで一眠り
ムニュと一緒に
一眠りのはずが、通常人の一日分の睡眠時間くらい寝てましたね。
午前中は両親の態度が変だったらどうしようとか苛立ちはじめたし、また以前のようなパニックになるかもしれないと段々不安になってきてアルプラゾラムを飲みました
法要は去年同様なにもしませんでした
去年は一人きりの法要が嫌だったからです
認めたという行為をしたくありませんでした
お墓参りに行った時、黄色い可愛い花が沢山あって、新しいオトウバがありました
最初はひどくショックでフラフラとドトールに入りました
コーヒー飲んでいる時はドーンと沈んでいて倒れそうでした
。。。?たおれそう?腹でも減ったか?
と、サンドイッチを食べることにしました
そうしたら見方が変り、義家族が法要をきちんとしてくれたことが嬉しくなり、安心しました
そして、黄色い可愛い花は義妹が私をイメージして選んでくれたんじゃないかと思いました
TKNSTに電話したら、開口一番「よかったじゃん!」と。
「だよね?」
お寺は好きではありません。あの時の住職の対応にはとても感謝していますが、義父のお墓です
義父の法要でしみっちと一緒に行った時には、そのころいつも使っていたマリアのペンダントが服の中に隠れていました
「ああああ、ごめんよぉ、マリア~」と思いましたがマリアですから怒りません
「なはははは」という感じ。
この先、私は法要のことで悩まなくていいんだと去年思いました
今年も義家族がやってくれているだろうと信じています
「信じる」と言うのは信じてもらうことではなく信じることです
「信じた相手に裏切られた」という言葉はありえません
「信じた自分がちょっとミスった」という状態になるはずです
私は「信じる」という行為をそのように認識しています
なので、調子のいい話ですが、義家族を信じて法要は準備しませんでした
去年はお墓参りに行きましたが、義家族と鉢合わせしたくないので今年はやめました
両親も悩んでいましたが、駐車場までの坂道を車で下っていって、義家族見つけたらバックで坂道登るの?と言って断念させました
おそらく、お位牌も義実家は作ったと思います
両親もしみっちの写真を犬のランや兄の写真と一緒に飾ってくれているそうです
多分、母の母の写真も
そろそろ忠ちゃん(母の父)の写真も探しなさいよ、と今日はストレートに言ってみました
さすがに今日は
「そうねぇ」と小さく言ったので、こんくらいの大きさのやつが中目黒の時に飾ってあったよね?と畳み掛けました。
すると、「じゃぁ、あそこにあるかしら」などと考えていました
今年、母の家族で末っ子の母は一番最年長になります。
今のところ一番長生きしたのが忠ちゃんですが、今日の母の話では、「二年戸籍が違ったという話を思い出した」と・・・
「体が大きくてなんでも出来る子だった」という評価は二歳年上なら当たり前だよねぇと。
昔は戸籍がいい加減だったんですかね?
「そうすると、最年長にはまだあと2年あるわ」と嬉しそうに言っていました。
みんながしみっちを偲んでくれているなら、そして毎朝お茶だのコーヒーだのを出してくれているなら・・・私が気負わなくてもいいじゃん!と少々いい加減になりました
私らしくなれました
この二年間はそのような二年間でした
去年、お墓参りに最後に行ったのがいつだったかわすれましたが
「次来る時はなにか報告するよ」
と伝えました
今のところ、報告できるような進展も特にありませんので、お墓参りには行きたくないかなぁ
わざわざ義実家が法要をやったかどうか確かめに行く必要はありませんもの。
両親は終始笑顔でした
悲しくなる話は避けているようなので私からもしませんでした
それは忘れたいとか悲しみを忌み嫌っているとかではなく、今日は穏やかに私が暮らせるようにという配慮です
あの日は小さな雪が舞いました
今日は一日カーテンを開けませんでした
用意された個室で二人になった時、叫んだり泣いたりしたあと、私は窓辺に立って外を見ながら「雪はやんだね」とか話しかけていたと思います
最後の会話を落ち着いて、ゆっくりしたかった
そのために病院が用意してくれた個室です(今思えば、タダで!)
私はしみっちに「なぁに、特別なことじゃないさ」と伝えたかった
しみっちが「取り返しのつかない事になった、大変だ、どうしよう!」とオロオロして迷子にならないように
しみっちが安心できるように
今日は無事に過ぎました
思っていたよりずっと穏やかでした
両親はしみっちが好きなマロングラッセも買ってきてお供えしてくれました
私が好きな食べ物はあまり覚えないのに、しみっちが好きなものは一生懸命覚えてくれているんだね
一度も泣くことを悪いことと思ったことはありません
外でも、人前でも泣きます
ただ、沈んでいくことはマズイと思っています
泣くことで沈んでしまうのなら泣きません
でも、泣くことでパニックがひどくなることはよくありますが、パニックがすぎれば落ち着きますし、泣いたから余計沈んだという経験もありません
東京は好きです
突然ツータカツータカ泣き出しても、大泣きしながら電話していても、みんなそっとしてくれます
チラチラ見たりせず、そっとしてくれます
どうしたのかしら、声を掛けたほうがいいかしら、大丈夫かしら、そっとしておいたほうがいいのかな、だがあまり様子を伺うのも悪い気がする
いろんな感情が聞こえます
そのうち、そういう音のない声に安心感を得られるし、気が紛れて気持ちが落ち着くこともありました
ファーストフード店で泣いていた時、私の側を通らないと出られない場所にいた人は、下げるトレーを持つ手が緊張していました
こけるとか、落とすとかギャグめいたことをしてはいけない!という緊張感ww
若い男の子はかわいいよね、心が体に出やすくて。
色んな人がいる東京が好きです
やっぱり東京の人と結婚してよかった
誰も声を掛けてくれないから冷たくて嫌だ、という話も聞きます
東京育ちじゃないとそう感じるのかもしれません
声をかけてほしいなら自分からかければいいじゃない・・・
かけないよね?「かなしいんです、ちょっと泣くから聞いてください」っていわないよね。
それが相手の状況です。
明らかな嫌悪を顔に出す人をあまり見ません
電車で大泣きする赤ん坊に嫌な顔をする人が一人いたくらいで、「ほら東京は」などと言われるのは残念。
満員乗ってるその車両の200人くらいは「おおお、たいへんそうだ」とか思って見ぬふりをしたり、心配そうにチラ見したりしています。
悪いところしか目に入らない人は多いですが、私の目に映る人は大体がいい人です
20代の頃はイライラしていて、ぶつかられただけでもキレていました
しみっちは太っているので、ぶつかられることはありません
そこで私はぶつかってきそうなやつに目をつけて、ぶつかられたらぶっ飛ばす勢いで足のポジションと腰の準備を咄嗟に構える技を習得しました
華奢な私を見て軽い気分でぶつかってくる奴らはことごとくすっとびます。
そのうち、「いや。確かに私を狙っている顔つきのやつもおる。」しかしそれは「私」に対して恨みを持っているからではなくなにかの八つ当たりか、ひどくおかしな性格のためだろうと気づきました
つまり「私」に意識があるわけではありません。
その人にとっての私はモブです
こちらはそこに感情をわかせる必要はないわけです
塩対応
究極の塩対応
ぶつかられないように大きく離れる
そうすると、全てのことが変りました
階段を塞いでトロトロ歩くラッシュ時の困りもの。彼には彼で膝が痛い~とか事情があるのかもしれない、どうしても邪魔な時には「ちょっと横通して」と声を掛ければ済むことです。それが出来ずにイライラが広がっていく集団心理を眺めるのは複雑な気持ちでした
幸せそうな家族連れ
しみっちが病気になってからは家族連れや特に子供を見るのが好きでした
子供の両親を見る目線がとても純粋で愛情のある家庭なんだなと嬉しくなります
私達が家族を見かけるのは映画館とか、家族連れの多い場所でした
そういうところに来る家族は大体愛情のある家族です
一方、スーパーなどで母親と一緒の子供は目が暗い子もいます
母親は叫んでばかり
「あれしちゃいけないそれはだめっていっているでしょうはやくきなさい!」
そこを、
あれはもうしないよね、前より少し大人に近づいてるもの
こないだ似たようなの買ったじゃない。新しいのを買ったらその子と遊ばなくなっちゃうでしょう、そしたらかわいそうじゃない
もうすぐお会計だからはやくきてーはぐれたら泣いちゃうでしょ
ここで遊びすぎるとお夕飯がおそくなっちゃうよ
荷物もつの手伝ってね
今でも家族連れはそういう気持ちで見ています
あの日の直後でさえそうです
ブログやSNSと同様、道を歩く人達は「私」に見せたり何かを伝えたくて存在しているわけではありません。
別の世界で別の人が生活しているだけ。その人達が幸福そうならそれを見るだけでほんわかする。
やさぐれた人が沢山住む地域ではやさぐれた人が増えていくかもしれません
幸福そうな人が住む街では気持ちのいい日を送れます
不幸は伝染ります。
幸せも伝染ります
笑顔を見てつられて笑顔になることが出来る人には。
叫んでばかりの人って言葉数が少ないんです
だから相手にはほぼ伝わりません
まともなコミュニケーションをしてこなかった人ですから、人の言葉も100%の正確さで理解しているとは思えません
最後まで聞かずに途中で割って入ってトンチンカンなことを言ったり、助詞のニュアンスの違いに気づけず、悪意あるものと受け取ったりします
たとえストレートに「今日もきれいだね」と言われても「今日は!?じゃぁ昨日はだめなの!?」とびっくりする反応をしたりします。発話者はちゃんと「も」と言っているのに、悪く言われることに慣れてしまい、悪く言われることを欲してしまうようになっていて(それこそがその人の普通だから)、「も」と「は」の違いなんてどうでも良くなってしまうんですね
「今日は!?」に関しても短い文章です
「え、なになに、このワンピ?それともメイク?あ、やっぱりぜ・ん・ぶ?」
みたいに言葉を広げていけばいいだけなのに。
コミュニケーションの苦手な人は自分勝手な解釈をいつもしています
義母がそうです
いつも人の話を聞いていません、適当な返しをしてきます、そして「えー、しらなかった、きいてなかった」を連発
挙句に「えー。私にはわからなーい」と全ての会話を終了させます
そのような状況で育ったしみっちはやはりひどく口数の少ない人です
でも、人の話を聞くことはできるひとでした
口数の少ないしみっちのことを結構近くまで理解して会話を続けられるのってあんまりいないと思います
私の特技ですから
言葉を歪めて受け止めることは躁鬱になってからひどくなり、さすがの私も対処できませんでした
言葉は地上の記号
今しみっちがいる場所が言葉がなく、以心伝心な場所だったらいいなと思います
「よくできましたね」
こういう文章は発音のニュアンスと表情、前後の文脈や状況がなくては判断できません
怪我をしているのに、完走するなんて「よくできましたね」感心しました
あのこはあんなに嫌がっているのに無理やりやらすなんてこと、「よくできましたね」
全然意味が違います
こういう言葉を発話者の意図と違った意味で捉える人は何を話しても全てそうなります
「またやるんだね」
「また」の部分で話を遮って「またってなによ、また失敗するとでもいうの!?やっても無駄だっていうの!?」
と怒り出します
いえいえ
「またやるんだね」(以前も失敗したけど再挑戦するなんてすごいね、私はあれ以来やってないよ)
と、声には出さないかもしれませんが音のない会話が続いていくわけです
しみっちは会話が苦手な方だと思います
電話している声を聞いていても、なかなかお互いの話が噛み合わない様子を感じます
でも、私の話はきちんと伝わるようです
そして、しみっちの言葉も私はキャッチできます
文章に対する鋭敏さは物心ついたときからのスキルであり、それを伸ばしてきた人生です
ただ、私の発言はうまく伝わらないことが多いのです
「○○をどうしよう」と言われると私は「△△でうまくいくよ」と答えます
相手が望んでいるのは「◯◯なの!?どうしようどうする、たいへんじゃん、かわいそう!」という無駄なパニックをひとまず共有したいらしい
そして長い期間を経て△△にたどり着いたとしても、最初に私が言ったことは理解できていなかったので思い出しもしません
むしろ、共感しなかったことを責めます「なにもしてくれなかった」と。
なにかトラブルが起きた時に「こうすればダイジョブくね?」と私が言ったとしても、
「いいの、私がなんとかするから、迷惑はかけないから」と非常にパニクってのたまいます
そして私のプランよりずっと質の悪い解決方法を見つけてきます
人の話を聞かずに一人で舞い上がり、一層迷惑をかける質です
これらもコミュニケーション能力の低さからくるものです
しみっちはちゃんと私に相談して話をきく、ということを心がけていました
時に勝手に何かやった時、異常に私が怒るからです
「心がけていました」なんです
最初から出来ていたことではありません
しみっちのコミュニケーション力の低さは私と一緒にいることで、少なくとも対私という場では上達していたと思います
そして私はあのキレやすい剣山のような人間からムニュのブラッシングに使うゴムのブラシ程度に柔らかく落ち着いたと思います
私達の15年は確かにあった
その証拠が私にちゃんとある
早く転生して会いに来いよ
寝ぼけてそう言った
「・・・うなぎ?」
いやいや、それじゃぁ、速攻食ってしまうだろ
「・・・金魚?」
まてまて、太った金魚はポイが破れちゃって取れないだろ!
「なんで太ってるって決まってるの・・・」
「あー、あと芸能人とか政治家とか出会うのが難しい系もやめてね」
そんなことを妄想しながらフワッとソファで眠りました
今年は報告を携えてお墓参りに行くことが何度もある年にしたい。
私にとってはやっぱりショウガツメイニチ。
ここから一年がまた始まる
------------------------------
長くなりましたが、私が死別カテを出たのは、こういう理由からです
自分の書いた文章が悪く取られる。それは書き手としては大きなミスです
鬱になってから、間違いのない文章を書く能力はさがりました
しかしながら、二通りに取れてしまう文章になっていたとしても
それを悪い方に受け取るのはその人の心の中を反映するものです
距離を置いて付き合えばいいじゃない
そういう考えもあるかもしれませんが、私は両極端な人生
70億の人と友だちになれるとは思っていません
カテ引越し後も引き続き読んでくださっている方、ありがとうございます
そして悪意あるコメント、勘違いコメントなどをせずに来てくれたこと、感謝しています
TTB、NotBBAのみなさん、いつもご心配くださりありがとうございます。
ここでは沈んだ話を書きづらいと感じていることと思います。無理はしなくていいです
いつものアホウな会話、私も楽しいです
でも、なにかある時にはここで書いていただいてもいいんですよ?
わたしが△△でいいんじゃね?と結論をいきなり言い出すと思います
あるいは視点が違いすぎて理解できない見方とか・・・
ちょっと興味があれば書いてみてくださいね
決め台詞は「知るかボケ」かもしれません。
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今日は午前中、いつもどおり買い物に行ったりちょっと掃除したり、ポケGOのジム戦やったら負けたりして過ごしました
昼、両親が来て、一緒に昼食とケーキを食べました
何も言わなかったのに、しみっちにはちゃんとモンブランを買ってくれました
夜は一緒に食べに行こうという話がありましたが、先週キャンセルをお願いしました
今夜(昨日になってるが)はものすごく久しぶりにピザを頼みました
ある方のブログでピザを頼んだという話があったので、そうだ、あの日はピザにしよう!と決めていました
しみっちは「えー、ピザやだー、しみっちあきちゃったもん」
といつも言います
それでピザをやめてココイチのカレーにすると喜びます
でも今日はピザ
久しぶりだし!
カレーは最近作ったし。
ジョニーウォーカーコーラを飲んで、ピザをたくさん食べて、ソファで一眠り
ムニュと一緒に
一眠りのはずが、通常人の一日分の睡眠時間くらい寝てましたね。
午前中は両親の態度が変だったらどうしようとか苛立ちはじめたし、また以前のようなパニックになるかもしれないと段々不安になってきてアルプラゾラムを飲みました
法要は去年同様なにもしませんでした
去年は一人きりの法要が嫌だったからです
認めたという行為をしたくありませんでした
お墓参りに行った時、黄色い可愛い花が沢山あって、新しいオトウバがありました
最初はひどくショックでフラフラとドトールに入りました
コーヒー飲んでいる時はドーンと沈んでいて倒れそうでした
。。。?たおれそう?腹でも減ったか?
と、サンドイッチを食べることにしました
そうしたら見方が変り、義家族が法要をきちんとしてくれたことが嬉しくなり、安心しました
そして、黄色い可愛い花は義妹が私をイメージして選んでくれたんじゃないかと思いました
TKNSTに電話したら、開口一番「よかったじゃん!」と。
「だよね?」
お寺は好きではありません。あの時の住職の対応にはとても感謝していますが、義父のお墓です
義父の法要でしみっちと一緒に行った時には、そのころいつも使っていたマリアのペンダントが服の中に隠れていました
「ああああ、ごめんよぉ、マリア~」と思いましたがマリアですから怒りません
「なはははは」という感じ。
この先、私は法要のことで悩まなくていいんだと去年思いました
今年も義家族がやってくれているだろうと信じています
「信じる」と言うのは信じてもらうことではなく信じることです
「信じた相手に裏切られた」という言葉はありえません
「信じた自分がちょっとミスった」という状態になるはずです
私は「信じる」という行為をそのように認識しています
なので、調子のいい話ですが、義家族を信じて法要は準備しませんでした
去年はお墓参りに行きましたが、義家族と鉢合わせしたくないので今年はやめました
両親も悩んでいましたが、駐車場までの坂道を車で下っていって、義家族見つけたらバックで坂道登るの?と言って断念させました
おそらく、お位牌も義実家は作ったと思います
両親もしみっちの写真を犬のランや兄の写真と一緒に飾ってくれているそうです
多分、母の母の写真も
そろそろ忠ちゃん(母の父)の写真も探しなさいよ、と今日はストレートに言ってみました
さすがに今日は
「そうねぇ」と小さく言ったので、こんくらいの大きさのやつが中目黒の時に飾ってあったよね?と畳み掛けました。
すると、「じゃぁ、あそこにあるかしら」などと考えていました
今年、母の家族で末っ子の母は一番最年長になります。
今のところ一番長生きしたのが忠ちゃんですが、今日の母の話では、「二年戸籍が違ったという話を思い出した」と・・・
「体が大きくてなんでも出来る子だった」という評価は二歳年上なら当たり前だよねぇと。
昔は戸籍がいい加減だったんですかね?
「そうすると、最年長にはまだあと2年あるわ」と嬉しそうに言っていました。
みんながしみっちを偲んでくれているなら、そして毎朝お茶だのコーヒーだのを出してくれているなら・・・私が気負わなくてもいいじゃん!と少々いい加減になりました
私らしくなれました
この二年間はそのような二年間でした
去年、お墓参りに最後に行ったのがいつだったかわすれましたが
「次来る時はなにか報告するよ」
と伝えました
今のところ、報告できるような進展も特にありませんので、お墓参りには行きたくないかなぁ
わざわざ義実家が法要をやったかどうか確かめに行く必要はありませんもの。
両親は終始笑顔でした
悲しくなる話は避けているようなので私からもしませんでした
それは忘れたいとか悲しみを忌み嫌っているとかではなく、今日は穏やかに私が暮らせるようにという配慮です
あの日は小さな雪が舞いました
今日は一日カーテンを開けませんでした
用意された個室で二人になった時、叫んだり泣いたりしたあと、私は窓辺に立って外を見ながら「雪はやんだね」とか話しかけていたと思います
最後の会話を落ち着いて、ゆっくりしたかった
そのために病院が用意してくれた個室です(今思えば、タダで!)
私はしみっちに「なぁに、特別なことじゃないさ」と伝えたかった
しみっちが「取り返しのつかない事になった、大変だ、どうしよう!」とオロオロして迷子にならないように
しみっちが安心できるように
今日は無事に過ぎました
思っていたよりずっと穏やかでした
両親はしみっちが好きなマロングラッセも買ってきてお供えしてくれました
私が好きな食べ物はあまり覚えないのに、しみっちが好きなものは一生懸命覚えてくれているんだね
一度も泣くことを悪いことと思ったことはありません
外でも、人前でも泣きます
ただ、沈んでいくことはマズイと思っています
泣くことで沈んでしまうのなら泣きません
でも、泣くことでパニックがひどくなることはよくありますが、パニックがすぎれば落ち着きますし、泣いたから余計沈んだという経験もありません
東京は好きです
突然ツータカツータカ泣き出しても、大泣きしながら電話していても、みんなそっとしてくれます
チラチラ見たりせず、そっとしてくれます
どうしたのかしら、声を掛けたほうがいいかしら、大丈夫かしら、そっとしておいたほうがいいのかな、だがあまり様子を伺うのも悪い気がする
いろんな感情が聞こえます
そのうち、そういう音のない声に安心感を得られるし、気が紛れて気持ちが落ち着くこともありました
ファーストフード店で泣いていた時、私の側を通らないと出られない場所にいた人は、下げるトレーを持つ手が緊張していました
こけるとか、落とすとかギャグめいたことをしてはいけない!という緊張感ww
若い男の子はかわいいよね、心が体に出やすくて。
色んな人がいる東京が好きです
やっぱり東京の人と結婚してよかった
誰も声を掛けてくれないから冷たくて嫌だ、という話も聞きます
東京育ちじゃないとそう感じるのかもしれません
声をかけてほしいなら自分からかければいいじゃない・・・
かけないよね?「かなしいんです、ちょっと泣くから聞いてください」っていわないよね。
それが相手の状況です。
明らかな嫌悪を顔に出す人をあまり見ません
電車で大泣きする赤ん坊に嫌な顔をする人が一人いたくらいで、「ほら東京は」などと言われるのは残念。
満員乗ってるその車両の200人くらいは「おおお、たいへんそうだ」とか思って見ぬふりをしたり、心配そうにチラ見したりしています。
悪いところしか目に入らない人は多いですが、私の目に映る人は大体がいい人です
20代の頃はイライラしていて、ぶつかられただけでもキレていました
しみっちは太っているので、ぶつかられることはありません
そこで私はぶつかってきそうなやつに目をつけて、ぶつかられたらぶっ飛ばす勢いで足のポジションと腰の準備を咄嗟に構える技を習得しました
華奢な私を見て軽い気分でぶつかってくる奴らはことごとくすっとびます。
そのうち、「いや。確かに私を狙っている顔つきのやつもおる。」しかしそれは「私」に対して恨みを持っているからではなくなにかの八つ当たりか、ひどくおかしな性格のためだろうと気づきました
つまり「私」に意識があるわけではありません。
その人にとっての私はモブです
こちらはそこに感情をわかせる必要はないわけです
塩対応
究極の塩対応
ぶつかられないように大きく離れる
そうすると、全てのことが変りました
階段を塞いでトロトロ歩くラッシュ時の困りもの。彼には彼で膝が痛い~とか事情があるのかもしれない、どうしても邪魔な時には「ちょっと横通して」と声を掛ければ済むことです。それが出来ずにイライラが広がっていく集団心理を眺めるのは複雑な気持ちでした
幸せそうな家族連れ
しみっちが病気になってからは家族連れや特に子供を見るのが好きでした
子供の両親を見る目線がとても純粋で愛情のある家庭なんだなと嬉しくなります
私達が家族を見かけるのは映画館とか、家族連れの多い場所でした
そういうところに来る家族は大体愛情のある家族です
一方、スーパーなどで母親と一緒の子供は目が暗い子もいます
母親は叫んでばかり
「あれしちゃいけないそれはだめっていっているでしょうはやくきなさい!」
そこを、
あれはもうしないよね、前より少し大人に近づいてるもの
こないだ似たようなの買ったじゃない。新しいのを買ったらその子と遊ばなくなっちゃうでしょう、そしたらかわいそうじゃない
もうすぐお会計だからはやくきてーはぐれたら泣いちゃうでしょ
ここで遊びすぎるとお夕飯がおそくなっちゃうよ
荷物もつの手伝ってね
今でも家族連れはそういう気持ちで見ています
あの日の直後でさえそうです
ブログやSNSと同様、道を歩く人達は「私」に見せたり何かを伝えたくて存在しているわけではありません。
別の世界で別の人が生活しているだけ。その人達が幸福そうならそれを見るだけでほんわかする。
やさぐれた人が沢山住む地域ではやさぐれた人が増えていくかもしれません
幸福そうな人が住む街では気持ちのいい日を送れます
不幸は伝染ります。
幸せも伝染ります
笑顔を見てつられて笑顔になることが出来る人には。
叫んでばかりの人って言葉数が少ないんです
だから相手にはほぼ伝わりません
まともなコミュニケーションをしてこなかった人ですから、人の言葉も100%の正確さで理解しているとは思えません
最後まで聞かずに途中で割って入ってトンチンカンなことを言ったり、助詞のニュアンスの違いに気づけず、悪意あるものと受け取ったりします
たとえストレートに「今日もきれいだね」と言われても「今日は!?じゃぁ昨日はだめなの!?」とびっくりする反応をしたりします。発話者はちゃんと「も」と言っているのに、悪く言われることに慣れてしまい、悪く言われることを欲してしまうようになっていて(それこそがその人の普通だから)、「も」と「は」の違いなんてどうでも良くなってしまうんですね
「今日は!?」に関しても短い文章です
「え、なになに、このワンピ?それともメイク?あ、やっぱりぜ・ん・ぶ?」
みたいに言葉を広げていけばいいだけなのに。
コミュニケーションの苦手な人は自分勝手な解釈をいつもしています
義母がそうです
いつも人の話を聞いていません、適当な返しをしてきます、そして「えー、しらなかった、きいてなかった」を連発
挙句に「えー。私にはわからなーい」と全ての会話を終了させます
そのような状況で育ったしみっちはやはりひどく口数の少ない人です
でも、人の話を聞くことはできるひとでした
口数の少ないしみっちのことを結構近くまで理解して会話を続けられるのってあんまりいないと思います
私の特技ですから
言葉を歪めて受け止めることは躁鬱になってからひどくなり、さすがの私も対処できませんでした
言葉は地上の記号
今しみっちがいる場所が言葉がなく、以心伝心な場所だったらいいなと思います
「よくできましたね」
こういう文章は発音のニュアンスと表情、前後の文脈や状況がなくては判断できません
怪我をしているのに、完走するなんて「よくできましたね」感心しました
あのこはあんなに嫌がっているのに無理やりやらすなんてこと、「よくできましたね」
全然意味が違います
こういう言葉を発話者の意図と違った意味で捉える人は何を話しても全てそうなります
「またやるんだね」
「また」の部分で話を遮って「またってなによ、また失敗するとでもいうの!?やっても無駄だっていうの!?」
と怒り出します
いえいえ
「またやるんだね」(以前も失敗したけど再挑戦するなんてすごいね、私はあれ以来やってないよ)
と、声には出さないかもしれませんが音のない会話が続いていくわけです
しみっちは会話が苦手な方だと思います
電話している声を聞いていても、なかなかお互いの話が噛み合わない様子を感じます
でも、私の話はきちんと伝わるようです
そして、しみっちの言葉も私はキャッチできます
文章に対する鋭敏さは物心ついたときからのスキルであり、それを伸ばしてきた人生です
ただ、私の発言はうまく伝わらないことが多いのです
「○○をどうしよう」と言われると私は「△△でうまくいくよ」と答えます
相手が望んでいるのは「◯◯なの!?どうしようどうする、たいへんじゃん、かわいそう!」という無駄なパニックをひとまず共有したいらしい
そして長い期間を経て△△にたどり着いたとしても、最初に私が言ったことは理解できていなかったので思い出しもしません
むしろ、共感しなかったことを責めます「なにもしてくれなかった」と。
なにかトラブルが起きた時に「こうすればダイジョブくね?」と私が言ったとしても、
「いいの、私がなんとかするから、迷惑はかけないから」と非常にパニクってのたまいます
そして私のプランよりずっと質の悪い解決方法を見つけてきます
人の話を聞かずに一人で舞い上がり、一層迷惑をかける質です
これらもコミュニケーション能力の低さからくるものです
しみっちはちゃんと私に相談して話をきく、ということを心がけていました
時に勝手に何かやった時、異常に私が怒るからです
「心がけていました」なんです
最初から出来ていたことではありません
しみっちのコミュニケーション力の低さは私と一緒にいることで、少なくとも対私という場では上達していたと思います
そして私はあのキレやすい剣山のような人間からムニュのブラッシングに使うゴムのブラシ程度に柔らかく落ち着いたと思います
私達の15年は確かにあった
その証拠が私にちゃんとある
早く転生して会いに来いよ
寝ぼけてそう言った
「・・・うなぎ?」
いやいや、それじゃぁ、速攻食ってしまうだろ
「・・・金魚?」
まてまて、太った金魚はポイが破れちゃって取れないだろ!
「なんで太ってるって決まってるの・・・」
「あー、あと芸能人とか政治家とか出会うのが難しい系もやめてね」
そんなことを妄想しながらフワッとソファで眠りました
今年は報告を携えてお墓参りに行くことが何度もある年にしたい。
私にとってはやっぱりショウガツメイニチ。
ここから一年がまた始まる
------------------------------
長くなりましたが、私が死別カテを出たのは、こういう理由からです
自分の書いた文章が悪く取られる。それは書き手としては大きなミスです
鬱になってから、間違いのない文章を書く能力はさがりました
しかしながら、二通りに取れてしまう文章になっていたとしても
それを悪い方に受け取るのはその人の心の中を反映するものです
距離を置いて付き合えばいいじゃない
そういう考えもあるかもしれませんが、私は両極端な人生
70億の人と友だちになれるとは思っていません
カテ引越し後も引き続き読んでくださっている方、ありがとうございます
そして悪意あるコメント、勘違いコメントなどをせずに来てくれたこと、感謝しています
TTB、NotBBAのみなさん、いつもご心配くださりありがとうございます。
ここでは沈んだ話を書きづらいと感じていることと思います。無理はしなくていいです
いつものアホウな会話、私も楽しいです
でも、なにかある時にはここで書いていただいてもいいんですよ?
わたしが△△でいいんじゃね?と結論をいきなり言い出すと思います
あるいは視点が違いすぎて理解できない見方とか・・・
ちょっと興味があれば書いてみてくださいね
決め台詞は「知るかボケ」かもしれません。
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