きいたんのしみっち

2015年1月30日金曜日、8年間の心臓病から解放された夫・しみっち。
しみっちと出会ってからが私の第二の人生。踏み出すこれからが第三の人生になります。

初心者の方へ

死別を考える

はたから見れば、私達の結婚生活は満点ではなかったのだろう

しみっちの病気がひどくなってきてからは、交友関係もほとんどもたず、二人っきりの世界に閉じこもるようになっていった

私は二人きりの時間を最大に使いたかった

それはアクティブに二人で出かけるだとか、たくさん会話をするだとかではなくて、ただ普通の日常を過ごすこと

病気と真剣に向き合わなかったと何度か書いてきたけれど、私達にはそれが精一杯だった

「心臓病」とは言っても、どうしてよくならないのか、なぜ悪化の一方なのか、病院側もよくわからない状態だった

出かけることもせず、病気について調べるでもなく、二人のときにはドラクエばかりしていた

出かけることはもうできなかった

病気については情報も少なかった

ごく、自然に生きたかった

私が働けば、もっとお金の心配をせずにいろいろ買えてしみっちはうれしかっただろう

病気についてたくさん調べて、海外サイトも研究して?

そうして、しみっちはその間、一人なの?

初めて入院したあとの自宅療養期間が2週間。このとき私はしみっちの入院中にできなかった仕事に専念した。帰るのも遅かった。

この期間、しみっちは一人だった。

心臓病というストレスを抱えて、一人で家にいた。

それこそ失敗だったとあとになって気づいた。

私は会社を辞めた。


二人きりの生活。あの日も、知らせたい人はドラクエのフレンドだけ。

心配してくれたのも、泣いてくれたのもドラクエのフレンドだけ。

もちろん、TKNSTや高校からの友人グループもいろいろしてくれた。

モンハンをしみっちと4人でやっていた友達もすぐに来てくれた。
でもそれは、久しぶりの再会だった。


あの日から、私はそれまで薄くなっていた人間関係を再構築した。

それでは虚無感を埋められなくて、死別関係の人間環境も積極的に増やした。

しみっちと二人きりで過ごしたこの家に、違う空気を入れなければいられなかった。

生きることができなかった

心療内科の薬を使わなくては生きることはできなかった

生きる必要があるのかどうか判断できなかった

友人が心療内科へ行かせてくれた

それは、私の選択ではなくて、金原ひとみさんの「持たざる者」で言われているように、自分では選択できないなにかなのだろう。

私は薬を飲み続けた。

涙が止まったことで、生きる自信が少し湧いた

今でも、生きるべきか死ぬべきかはわからない

それは、他の、しあわせやーんと息巻いている人だって同じだろう

それは、自分で選択するものじゃないのだろう


震災がそうであるように、死別も出会いも、自分では選択できない、抗えないなにかなんだろう

死が誰にでも訪れるように、死別は、誰にでも訪れる

そのあと、どう生きるかはその人の選択のようであって、実はそうではない、自然の流れが根底にあるのだと今日は思う


私がひたすら走ることや、前しか見ていないことを止める人はこれまでなかった

だから、私はそれまでと同じように、前を見つめて走ろうと思った

あの日からは、死別関係の人からSTOPがよくかかった

あせらないで、ゆっくり

そう声をかけられ続けた

それがなんのためなのかわからないけれど、私は時々その声に従ってきた

それも、自分で選んだことではなくて、きっと、運命なんだろう

精霊たちの導きなんだろう

精霊たちが何を目指しているのか、私は知らない


私はただ、最初にカウンセラーにもらった言葉を目標にしてきた

「激しい情動を伴わずに思い出を振り替えれるようになるといいですね」


そんなことができるわけはないと思った

震えがとまらず、歯を食いしばる力を抜くこともできず、自分では自分がコントロールできなかった

「しみっち」という思いで、呼吸も難しくなるし、涙は爆発して悲鳴をあげていた。
震えて必死に母に電話していた。

一緒に死にたかった

連れて行ってはくれなかった

幻想を見た

「しみっちはここで降りるけれど、きいたんは好きな方へいっていいから。でも、必ず迎えに来るから。」


一緒に行くことを望んでいなかった


望んでくれなかったのか、望まないでいてくれたのか


それは絶対に後者で、しみっちの愛情なんだと知っている


私はしみっちを知っている。しみっちは私に、生き方を強制しない。

死に方も強制しない。


私は、あの日から、信心深くなったのかもしれない

ずっと、頼るだけだったマリアに、私は自己という存在の責任感を初めて持った


神の前で、独りの自己としてきちんと在ろうと思った。


しみっちにたよっている自分ではなくて、私として生きる自分であろうと思った。


「激しい情動を伴わずに」


あの日に比べて、私は、それを実現した。

それは、悲しみをふっきって新しく生きることだと思っていたけれど、全然違った


悲しみも寂しさも愛しさも、常にここにありながら、私は私の人生を進めている

今はまだ、うまく回っていない


それでも、あの頃とは違う

何度でも立ち上がってきた

何度でも立ち上がれると信じることができるようになった


生きるべきか死ぬべきか

そんな答えの出ないことにもやもやしていたら、いつまでも進めないから、私は「死ぬという選択肢はない」と決めた


それでも、いまでもそこはよくわからない

あのとき、どうしてそう閃いたのか。



生き方がそれぞれであるように、死別もそれぞれだ

それでも、生き方が似ているグループがあるように、死別に関してもそうなんじゃないだろうか

それは、寄り集まってどうこうするためのものではなくて、進むための参考にできるとかそういうものじゃないだろうか

生へ進むか、死へ進むか、それぞれだと思う

私は、なぜかわからないけれど自分で決めて、生へ進んでいる
































初心者の方へ (まとめ記事) 追記ばーじょん(16.7.4)

◯心構えとか

  しみっちが残してくれたもので一番大切なものは自分

  同士の方と会うことの勧め

  泣いた後のケア


◯グリーフワークについて

  「死」とは
    残されるものにとっての「死」について考えてみました。

  「再生」とは
    後述のE・Q・ロスの本に出てくる「再生」について考えてみました。

◯心療内科について

  心療内科に行くと、ほぼ決まって「鬱ですねぇ」となります。それが嫌な方は、市販のレスキューレメディなど、神経の昂ぶりを抑えてくれる薬を使うのも手だと思います。
  また、「鬱ですねぇ」と言われないパターンも有ります。このケースは大体、自分の気持ちを把握できていない人の場合に診断されるようです。カウンセリングを通して、自分の心に目を向ける練習をすることになるのかな、と思います。(自分はこのケースじゃなかったので、人から聞いた話です)

  心療内科、クリニックについて

  心療内科ってこんなところ


 心療内科にかかる場合、先生と相談して「自立支援医療制度」を利用するとお金の節約ができます。半年以上かかっている場合には(東京では)障害手帳の申請もできるそうです。こちらは認可されるとは限りません。


◯お役立ち情報

  遺品整理、掃除など、私は10年を目処にしています。急いでやらなければならない方は、ひとまずダンボールに突っ込んで、後回しにするか、それもできない方は、とりあえず頑張りましょうw 手伝いますよヽ(・ω・)ノ

  しみっちの指紋をとりました

  しみっちの荷物を整理した

  写真はデジタル化されていないもの(印刷された写真や古いネガ)をデジタル化することも、その逆でデジタル化してあるものをプリントするのも(それは普通w)可能です。アキバのヨドバシへ!(どこでも大丈夫)

  ネガ時代の写真のデータ化


◯手続き関係について

  ちょっとまとめ記事も疲れが出てきたきいたん・・・

  まず知っておいて欲しいのが、免許証などの証明書関係。
  「なくした」と言えば、それ以上追求されませんので、無駄に返却しないで済みます。

  それから「姻族関係終了届」。これは簡単に提出できます。

  戸籍謄本、印鑑証明などは、多くの場合、手続きの際にコピーを取って返却されます。
  有効期間がありますので、なんの手続きで何が必要かを予め調べてから役所へ行くと手間が省けます。

  また、手続きの記入書類に書き間違いをした時にはハンコが必要になるので、忘れずに持って行って下さい。こんな状況なので、ミスは多いです。


  姻戚関係終了届(姻族関係終了届)について & 全部事項証明書についてもちょっと

  姻戚関係終了届を提出しました

  原チャの名義変更
       名義変更等は、しなくてもいい場合が多いので、
       したくないなぁと思うものは担当の人に粘ってみてください。

  銀行口座の解約
       残金が少ない場合は、若干書類に不備があっても、粘るとゴリ押しできました。
   

◯本とか

  入門として、エリザベス・キューブラー・ロス『永遠の別れ』がおすすめです。

  記事が多いのでタグをリンクしておきます→エリザベス・キューブラー・ロス



「再生」とは

前回書いた、「死」とは

もう少し掘り下げて考えてみました。死別の悲嘆からの再生について。

前回はこんな具合で死別による波紋の影響で近い人から(愛情の相関で)崩れてしまう絵を作りました。
テヌキトカハオイトイテ(´ε` )
6_2
じゃぁ、「再生」とは?

波紋が少しずつ緩やかになっていく最中がグリーフワークだと思います。
6_3
その過程で、波紋の影響が少ない人ほど、形を取り戻していきます。
図では間違い探し程度にそれぞれが変化しています。(きいたんはちょっと濃くなってるとか)

それでも波紋はある。
「揺り戻し」と言われるのはこの部分ではないかと思います。

波紋に揺られながらも、崩れた自分をかき集めて新しい自分を作ろうとする。
でも、次の波に襲われてまた形が崩れてしまう。

そうやって「揺り戻し」を繰り返しながらも、波紋は徐々に減っていきます。
そうして、波が穏やかになった時、ようやく「再生」へと踏み出せるのではないでしょうか。

この波紋の大きさと爆心地からの距離こそが、グリーフは人それぞれと言われる違いの部分かと。


それでも、波がおさまるまで自分の収集を諦めてはダメだと思うのです。
なぜなら、そこでただ待っていては、自分のカケラが飛び散りすぎて「再生」不能になってしまいそうだから。

だから、毎日、なんとか自分を寄せ集めて、足りない部分を新しく補充して形作ろうと頑張る。
次の波にさらわれても、もう一度、もう一度、と根気よく繰り返す。
それが、グリーフワークの苦しいところであり、逃げ出したいところです。


私は薬を使っています(ヤクじゃないよ><)

私の波は私にとって大きすぎて、私には自分を収集することができなかった。
薬の力を借りて、たとえばちょっとした小舟をレンタルして乗り切っている感じです。

小舟の上から自分を収集することは、遠回りかもしれないけれど、すべての自分を見失ってしまうよりはいい。

薬を使うことで弊害もあります。
ボケこいてるとか、働く自信がないとか。でも、飲んでなかったら、きっと私は自分を完全に見失ってた。


グリーフワークは人それぞれ。
その人にあったやりかたをするしかないから、自分で模索するしかないのだと思うのです。



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「死」とは

しみっちのことに向き合うことはまだできない

なので、そもそもの「死」について考えてみた

あの世に生まれるとか、そういうことではなくて、今生に残された者にとっての「死」について。

たとえば、これ、池ね。ソコツッコマナイデ!
6_1
しみっちからの距離感をあらわしてみました。

ここで、ぽっかりしみっちの部分に穴があいて波紋ができる。テンキズジャナイヨ!

6_2
そうすると、一番近くにいたきいたんはメチャメチャ。

きいたんの近くにいたきいたんママときいたんパパも崩れてる。

でも、しみっちの家の人はしみっちから遠かったから、それほど変形しない。

もちろん、池の外にいるアカの他人は影響を受けない。

「死」といのは、そういう感じじゃないかな。


しみっちの友達のことを知らないから、まだ連絡もしていない。

一年経ったら、結婚式に来てくれた人にくらい連絡したいと思っていたけれど、できない。

友人がいれば、やっぱりその位置によって崩れ方が大小あるのだろう。


しみっちを愛しているきいたんだけでなく、きいたんを愛しているきいたんの両親も打撃を受けたってところがポイントね。

もっと人をたくさんあらわせば、すごく複雑になるだろうけど、前衛的な図になるのだろうなw



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泣いた後のケア

一人で泣くのがつらい、という時には、鏡の前で泣くとちょっと気持ちが落ち着きます。

悲しんでいるのが自分だけ、という孤独感を減らせますし、自分の泣き顔を見ていると心理的に笑顔になってきます。自分をあやしてあげたいと感じるんじゃないかな。(私がナルシーだから?)

泣いているときは、柔らかいタオルで抑えるように拭きます。

ゴシゴシやると目の周りが赤くなります。

また、涙の塩分で肌がやられるので、少し泣き止んできたら顔を洗います。

酷く泣いた後は、冷やしてあげると、翌朝目が腫れて大変!なんてことにはなりません。

同士の方と会うことの勧め

同士の方を見つける方法はいくつかあります。

一つ目。
この死別カテゴリのブログから、コメント欄を通じて知り合い、会いたいです、と言い出すこと。
言い出す勇気はなかなかないなぁという場合には、コメント欄だけでなく、メールのやり取りから始めるといいと思います。

また、数人規模の集会を定期的に開いていらっしゃるブログもあります。

同じ体験をしたからと言って、自分と同じではありません。
皆さん、自分のことで一杯一杯だし、必ずしもこちらの気持ちを優先して言動してくれるわけではありません。
もともとの相性もありますしね。

でも、数撃ちゃ当たる(≧▽≦)


二つ目。
「死別 遺族 わかち合いの会」 などで検索すると、いくつか見つかると思います。
年齢も境遇も違った方が集まるサークルのようなものです。

参加料はサークルによって異なるので、自分に合いそうなところへ行くのがいいと思います。
ここではあまり個人の住所や名前、メアドの交換などは頻繁にはしません。海外の禁酒サークルなどのように完全匿名性はありませんが、基本は秘密厳守です。

ブログをしていない方のお話を生で聞けるし、自分の相談もできます。同じような境遇の方のお話を聞いて、一緒に泣くこともできます。
一緒に泣く、といのがとてもグリーフワークにはいいように思います。

なにより、外出する、という目標があると「死にたい死にたい」と家でこもっているよりずっと気分が晴れます。


肝心の、同士の方と会うことのメリット。

それはもう、自分のパートナーの話が普通に出来ることです!

どうしても、仲の良い昔からの友人でも、ありありとパートナーのことを語るのはちょっと気が引けます。
でも、こういった場では、あの頃と同じようにしみっちの自慢話をすることができます。

脳みそは単純なので、一瞬過去に戻ったかのように錯覚して、非常にリラックスできます。

そして、泣き出しちゃっても、「大丈夫?」などとは聞かれずに、黙って待っていてくれます。そこが一般人との大きな違いです。


家で引きこもることがグリーフワークにとって効果的な時期があります。
でも、ちょっと外出できそうだな、人と会えそうだな、と感じたら、こういった場を利用して、同士の方との交流を試してみてください。

この「初心者の方へ」カテゴリではこれまでのブログのまとめを・・・と思ってたんですが、私が同士の方とお会いした記事やわかち合いの記事って、きちんと整理されていなかったんですねヽ(TωT)ノ
リンク貼るのは諦めました。2分で。

しみっちが残してくれたもので一番大切なものは自分

このブログが一年経ったら、これまでの状況をまとめようと思っていたのだが・・・
気づかないうちに一年経っていて、そんな作業もできずに来ましたヽ(´∀`)ノアハハ

今日からコツコツと。

5月に書いた記事
しみっちが残してくれたもので一番大きなものが、自分だと思う

私が当初何も食べられず、しゃべることもできずにタオル片手に泣いていた頃、住職に言われました。

「アンタを一番大切にしてくれていたんだから、そのアンタがそんなんでどうするの」

私ははっと気がついて、それから少しずつ食事をきちんと取るようにし始めました。

よく考えたら、しみっちは入院が増えた頃から、私が一人でも大丈夫なように生協の料理キットを頼んでくれていたんです。

これなら私にも調理できる。(うちは家事がすべてしみっち。)

それからはいろんな折に「自分を一番大事にしよう」と思って乗り切ってきました。

しみっちのお母さんも高齢で、一番下の妹には生まれつきの病気があります。私は彼女たちの面倒を見なくては、と思っていたけれど、遺産争いが始まったのは、「自分を一番に」というしみっちからのメッセージなんだとと思いました。

まず、私自身がきちんと大地に立たなくては。

そう思ってのらりくらりとなんとか今日までやって来ました。

「死にたい」という感情よりも、「生きている意味がわからない」という疲れにも似た気持ちを抱くことは多々あります。それでも、しみっちが人生をかけて守ってくれた自分自身を投げやりにはできない。

そんな風に自分自身をしみっちから引き受けたつもりでユラユラと頑張っています。


死別遺族の方の中には、その愛情さえ信じらない気持ちに陥る人もいるようです。
でも、ちょっと待って。昨日まで、そこにいて、一緒に生きていたのなら、それが愛なんですよ。

時間が経てばもしかしたら別の人とくっついていたかもしれないけれど、不倫とか騒動が引き起こったかもしれないけれど、最後に一緒にいたのはこの私。それがとても誇らしいです。

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 (Amebaのしみっち)

おしゃべりしみっち

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プロフィール

KEYWA

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ムニュはマンチカンの女の子。そろそろ私と同じ年頃♡タロンはポメチワハーフの男の子。アキャンはブリティッシュショートヘアの姫で、マルコはスムースのダックス胴が長い。夫との死別から5年経ちました。二人で暮らしたアストルティアへ帰るのが目標です。 地上ではADHDのパートナーと暮らしています。私はASD傾向強目。
キャラ紹介
◎KEYWA
 このブログの管理者
 




●しみっち
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 1969年5月18日生まれ。
 A型。
 2015年1月30日没。
 2002年7月14日からきいたんの夫。

●きいたん
 1973年5月16日生まれ。
 世界のB型。
 2002年7月14日からしみっちの妻。
 都内在住➡離脱。
 現在恋人同居中。
 

●ドラクエの二人
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 (「しみっちょ」と「きいたん」)
 種族:プクリポ

●CHY
CHY
 恋人(画像はイメージです)

●ムニュ
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 2010年9月3日生まれ。
 マンチカンのメス。

●両親(ママ&パパ)
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 70超え。都内在住。
 


●シミッチュン
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 しみっちのかわりに連れて歩いている手乗りすずめ。本当はすみっこぐらしの子。


●TKNST
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 1973年6月生まれ。 
 くわ型。
 高校時代からの親友。


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