第1章 悲嘆の五段階
段階というより、種類が5つ。
・否認
・怒り
・取引
・抑うつ
・受容
これら5つの感情の種類が、順不同に個別に現れたり、いくつかの感情が同時に現れたりする。
突然の喪失に対して「否認」の感情は重要である。一度にすべての事実を受け入れることは負担が大きすぎるからである。
私はあの日、否認の感情は起きなかった。そんなはずはない、とか、本当は眠っているだけだ、とは思わなかった。
予期していたからだ。
それでも、あれから3ヶ月たった今も、本当は病院にいるんじゃないのかと、思っている部分もある。
LINEの履歴を見れば、たった今しみっちとLINEしていたのに?と感じる。
まだ否認の感情は消え去ってはいない。
「怒り」の感情は、人が一番慣れ親しんでいるもので、対処がしやすいと書いてある。
感情の混乱を怒りにのせることで、気持ちの整理を付けることも出来る。
怒りの気持ちが出た時には、現状でも自分が生きている、生きていけるということを暗に感じ取れた時だと書いてある。
怒り・・・
私の最初の怒りは、本人、親族、神、状況に対してではなかった。
怒り、と言うのかはわからないが、生きているすべてのものが許せなかった。
イスラ◯にでも参加して爆弾をもらってきてあちこちを破壊してやりたくてたまらなかった。
でも葬儀の準備などで忙しくそれはできず、時間があってもきっとできなかっただろうけど、住職に会った時、真っ先に言われた言葉にいさめられた。
「なにをしてもかえってはきませんから」
そうして私の最初の怒りは鎮まった。
二度目に怒りが出たのは、本当に随分たってからだった。
49日、義実家の集まり具合が気に入らなかった。表情も気に入らなかった。そうして、挙句に、葬儀の時初めて交換したメールアドレスで、義妹から遺産相続の話がメールなどで軽々しく送られてきた。
私はブチ切れた。
この当時私は、一人でいることが危険であり不安であったため、短時間のパートをしていた。状況を説明して、無理を言っての短時間パートだ。
その話を聞いて、働いてるなら元気だろうくらいに思ったのだろうか。
そして、今私が住んでいる家は、一人では広すぎるでしょうなどとクズが言いやがる。
自殺なんてしないけど、もし、自殺することがあるなら、あいつは殺してから自殺する。と決めた。
失った感情の中で最初に浮上するのが「怒り」であると書かれている。その通りだった。
それまで、自分とは違う何かが日常生活をしているように感じていたし、しゃべり方も考え方も自分とは違うと思えていた。
でも、その怒りを爆発させてからは、自分を取り戻せたように思う。しゃべり方も考え方も自分らしくなってきた。
葬儀の頃に墓の管理は任せられないとか、位牌をよこせとか言われた時に、建前か「あなたの今後のために」という言葉に私は感謝を述べたが、今はそうは思わない。
私達の15年をなんだとおもってやがる、クソくらえだ。ぺっぺっ。
幸い、怒りのプロセスで私は神を恨んだりはしなかった。叔母がシスターであることもあり、シスターから電話があるたびに、しみっちが困らないようにマリアにお願いしてね、といつも頼んでいた。
地上を離れてしまったしみっちを私は神的なものに頼むのが一番いいと思っていた。自分で出来る範囲の事はかぎられている。祈ったり、お線香プカプカしたり、りんをちんちんたたいたり。でもやっぱり、神的なものにお願いしたいと心から思った。
「取引」というのは、これから~~するから、~~をたすけてくれ、というようなものらしい。
私にはそういうプロセスは生じなかった。
もともと、私は意味のない取引はしない質である。
テストで良い点取ったら~~買って、というのは意味が無いと思ってきた子供時代。
取引という感情は生まれなかった。
「抑うつ」
私は生きる目的がわからない、と友人に言ったとき、心療内科を紹介された。
私は日常生活がままならない状態だったので、薬によって、日常生活をあるていど取り戻したことで、先のこと、今のこと、いろんなことを考える余裕が持てた。
私は心療内科の薬に賛成派だ。
だが、本によると、薬などで無理にこの時期の抑うつを抑えることは逆効果になりかねないという注意も書いている。
喪失から発生する抑うつは、一般的な抑うつとは質の異なるものであり、このプロセスを通して悲しみをしっかりと実施することが必要だというのである。
家に引きこもって泣いているだけでも誰かが世話をしてくれるのなら、それもいいかもしれない。でも、状況はそれを許さない。
ただ、私も薬に関しては頼りすぎること無く、一日中泣かないようにという薬の飲み方はしていない。適度に悲しみ、怒り、憂鬱を経験して、心と体をゆっくりと慣らしていくというプロセスを選んだ。
「受容」
喪失という現実を受け入れ、さらにそれが永遠に続く状況であることを認めること。
新しい生活を始める時、愛する人との新しい関係を築くことになる、と本書では述べている。
新しい生活を楽しむことを裏切りのように感じる必要はないのだ、と。
私は先日、ドラクエでチムメンとコインボスに行った時、あんまり楽しかったので、そのあとパニックが起きてしまった。こんなに楽しいのにしみっちはいない。しみっちがいないのに、こんなに楽しいなんて!
しみっちはもうパラディンができないのに!
チムメンは私が不在の期間に、しみっちが受け持っていたジョブのパラディンを出来るようになっていた。多分、何も言わないけれど、これからも、同じように行けるんだよ、と私を待っていてくれたメッセージだと受け取った。
しみっちが私に残してくれたアストルティアの生活。
しみっちのおかげで、私はまたアストルティアで遊ぶことができる。でも、しみっちは?しみっちは寂しくないの?
私は混乱して、パニックになったのだった。
しみっちが残してくれたもので私は今生きている。でも、今しみっちにしてあげられることってなんだろう。
そんなことを考えてしまった。
私はこの「受容」の段階へ上り詰めていない。
だから、どうしてもパニックになるし、随所で踏みとどまってしまう。
もし、受容が上手くさばけたら、きっと、新しいしみっちとの関係に気が付き、共に幸せと喜びの未来へ進めるのだろう。
第1章は、というような内容だった。
段階というより、種類が5つ。
・否認
・怒り
・取引
・抑うつ
・受容
これら5つの感情の種類が、順不同に個別に現れたり、いくつかの感情が同時に現れたりする。
突然の喪失に対して「否認」の感情は重要である。一度にすべての事実を受け入れることは負担が大きすぎるからである。
私はあの日、否認の感情は起きなかった。そんなはずはない、とか、本当は眠っているだけだ、とは思わなかった。
予期していたからだ。
それでも、あれから3ヶ月たった今も、本当は病院にいるんじゃないのかと、思っている部分もある。
LINEの履歴を見れば、たった今しみっちとLINEしていたのに?と感じる。
まだ否認の感情は消え去ってはいない。
「怒り」の感情は、人が一番慣れ親しんでいるもので、対処がしやすいと書いてある。
感情の混乱を怒りにのせることで、気持ちの整理を付けることも出来る。
怒りの気持ちが出た時には、現状でも自分が生きている、生きていけるということを暗に感じ取れた時だと書いてある。
怒り・・・
私の最初の怒りは、本人、親族、神、状況に対してではなかった。
怒り、と言うのかはわからないが、生きているすべてのものが許せなかった。
イスラ◯にでも参加して爆弾をもらってきてあちこちを破壊してやりたくてたまらなかった。
でも葬儀の準備などで忙しくそれはできず、時間があってもきっとできなかっただろうけど、住職に会った時、真っ先に言われた言葉にいさめられた。
「なにをしてもかえってはきませんから」
そうして私の最初の怒りは鎮まった。
二度目に怒りが出たのは、本当に随分たってからだった。
49日、義実家の集まり具合が気に入らなかった。表情も気に入らなかった。そうして、挙句に、葬儀の時初めて交換したメールアドレスで、義妹から遺産相続の話がメールなどで軽々しく送られてきた。
私はブチ切れた。
この当時私は、一人でいることが危険であり不安であったため、短時間のパートをしていた。状況を説明して、無理を言っての短時間パートだ。
その話を聞いて、働いてるなら元気だろうくらいに思ったのだろうか。
そして、今私が住んでいる家は、一人では広すぎるでしょうなどとクズが言いやがる。
自殺なんてしないけど、もし、自殺することがあるなら、あいつは殺してから自殺する。と決めた。
失った感情の中で最初に浮上するのが「怒り」であると書かれている。その通りだった。
それまで、自分とは違う何かが日常生活をしているように感じていたし、しゃべり方も考え方も自分とは違うと思えていた。
でも、その怒りを爆発させてからは、自分を取り戻せたように思う。しゃべり方も考え方も自分らしくなってきた。
葬儀の頃に墓の管理は任せられないとか、位牌をよこせとか言われた時に、建前か「あなたの今後のために」という言葉に私は感謝を述べたが、今はそうは思わない。
私達の15年をなんだとおもってやがる、クソくらえだ。ぺっぺっ。
幸い、怒りのプロセスで私は神を恨んだりはしなかった。叔母がシスターであることもあり、シスターから電話があるたびに、しみっちが困らないようにマリアにお願いしてね、といつも頼んでいた。
地上を離れてしまったしみっちを私は神的なものに頼むのが一番いいと思っていた。自分で出来る範囲の事はかぎられている。祈ったり、お線香プカプカしたり、りんをちんちんたたいたり。でもやっぱり、神的なものにお願いしたいと心から思った。
「取引」というのは、これから~~するから、~~をたすけてくれ、というようなものらしい。
私にはそういうプロセスは生じなかった。
もともと、私は意味のない取引はしない質である。
テストで良い点取ったら~~買って、というのは意味が無いと思ってきた子供時代。
取引という感情は生まれなかった。
「抑うつ」
私は生きる目的がわからない、と友人に言ったとき、心療内科を紹介された。
私は日常生活がままならない状態だったので、薬によって、日常生活をあるていど取り戻したことで、先のこと、今のこと、いろんなことを考える余裕が持てた。
私は心療内科の薬に賛成派だ。
だが、本によると、薬などで無理にこの時期の抑うつを抑えることは逆効果になりかねないという注意も書いている。
喪失から発生する抑うつは、一般的な抑うつとは質の異なるものであり、このプロセスを通して悲しみをしっかりと実施することが必要だというのである。
家に引きこもって泣いているだけでも誰かが世話をしてくれるのなら、それもいいかもしれない。でも、状況はそれを許さない。
ただ、私も薬に関しては頼りすぎること無く、一日中泣かないようにという薬の飲み方はしていない。適度に悲しみ、怒り、憂鬱を経験して、心と体をゆっくりと慣らしていくというプロセスを選んだ。
「受容」
喪失という現実を受け入れ、さらにそれが永遠に続く状況であることを認めること。
新しい生活を始める時、愛する人との新しい関係を築くことになる、と本書では述べている。
新しい生活を楽しむことを裏切りのように感じる必要はないのだ、と。
私は先日、ドラクエでチムメンとコインボスに行った時、あんまり楽しかったので、そのあとパニックが起きてしまった。こんなに楽しいのにしみっちはいない。しみっちがいないのに、こんなに楽しいなんて!
しみっちはもうパラディンができないのに!
チムメンは私が不在の期間に、しみっちが受け持っていたジョブのパラディンを出来るようになっていた。多分、何も言わないけれど、これからも、同じように行けるんだよ、と私を待っていてくれたメッセージだと受け取った。
しみっちが私に残してくれたアストルティアの生活。
しみっちのおかげで、私はまたアストルティアで遊ぶことができる。でも、しみっちは?しみっちは寂しくないの?
私は混乱して、パニックになったのだった。
しみっちが残してくれたもので私は今生きている。でも、今しみっちにしてあげられることってなんだろう。
そんなことを考えてしまった。
私はこの「受容」の段階へ上り詰めていない。
だから、どうしてもパニックになるし、随所で踏みとどまってしまう。
もし、受容が上手くさばけたら、きっと、新しいしみっちとの関係に気が付き、共に幸せと喜びの未来へ進めるのだろう。
第1章は、というような内容だった。